うさぎ the reviewer
アリストテレス並みの洞察力
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枝葉末節にこだわらず、ロボット工学、脳科学、哲学などの多数の学問を領域横断的に俯瞰できる著者の洞察力に驚愕しました。今まで誰もが当たり前だと思っていたことにメスを入れ、新しい学問領域が構築されていく様子が目の当たりにできて、なんだか古代ギリシャのアリストテレスを彷彿させられました。それでいて意識とは何か、日常会話ができるAIはどうしたら作れるかといった問題を中学生でもわかるように説明してくれています。Youtubeを見てみると正直どこにでもいそうなおじさんなのですが、こんなに人を見た目で判断すべきでないと痛感したのは初めてかもしれません。
著者は脳の神経回路と意識の関係を、コンピュータとプログラムの関係に喩えます。脳の神経回路をいくら調べてもその人が何を感じているかわからないのは、CPU内の電気信号をいくら調べてもスーパーマリオが動き回っている様子を見ることができないことと同じだというのです。このように心や意識はコンピュータで動くプログラムであると考えると、AIの心もプログラムで実現できるはずです。
しかし、今のAIは「オーストリアの首都は?」という正解が一つしかない質問に答えたり、将棋やチェスをしたりといったことはできますが、日常会話となると途端にちぐはぐな回答しかできなくなり、人間の心をもつというには程遠い状況です。AIが会話が苦手なのは、会話にはチェスや将棋にあるような明確な目的とルールがないからです。ですので、ドラえもんのようなAIを作るためには、会話の目的とルールをコンピュータにもわかる方法で定義し、それをプログラムに落とし込む必要があります。
会話の目的とは、「感情を伝える」ことだと言えます。
例えば、子供が母親に「今日給食でプリンが出たよ」と言うとき、「嬉しい」という感情を伝えようとしています。
母親は子供に「よかったわね」ということで、「嬉しい」という感情がちゃんと伝わったことを子供に伝えます。
(ここで、「今日給食でプリンが出たよ」という情報を「嬉しい」という情報に縮約し(情報量を減らし)、そこから発言者の次の行動を予測できるということが、文の意味を理解することだといいます。)
次に、以下のようにルールや心理パターンを定義する必要があります:
・生物のルール:すべての生物は不快を避け、快を求めるように行動する
・善悪のルール:人間社会においては、相手にプラスとなる行動をとるべきであり、相手にマイナスとなる行動をとるべきでない
・感謝:自分にプラスとなる行動を相手がとったときに発生する感情
・羞恥心:基本以下の能力しかないこと+他人の視線
こうした定義をプログラムに落とし込むことで、日常会話や社会生活ができるAIが作れるといいます。
18章以降では、一旦AIの話を離れ、そもそも人間の意識とは何か、という問題が検討されています。著者によると、人はそれぞれ意識に上ってくる自分(表の自分)と意識に上ってこない自分(裏の自分)をもっているといいます。裏の自分とは、センサーから入力された刺激に反応し、行動を出力する機能のようなものです。盲視の人が、スクリーン上の光の点が「見えない」と言うにもかかわらず、その位置を指すように指示されると百発百中で正答できるのも、このシステムのためだといいます。そして表の自分は、現実世界をそのまま見ているのではなく、この裏の自分が現実世界からの刺激を元に構築した仮想世界を見ています。人間の耳は数メートルも離れたら音のズレを聞き分けられるのに、100mも離れたところから花火を見ても、音と同時に花火が爆発するように見えるのは、この仕組みのためだそうです。第2巻ではこれらの仕組みを元に心のプログラムのつくり方が解明されていくようです。
私がざっくり理解したところはこんな感じですが、間違っていたらすみません。
Youtubeでは他にもクオリア、自由意志、夢、時間の概念の話など、脳の様々な働きを今まで誰もが気づかなかった切り口で、かつ矛盾なく説明されていて、目から鱗どころか啓蒙の連続です。著者の説が事実かどうか私に判断することはできませんが、少なくとも内的整合性は維持されているようです。「大きな謎を解こうとするのではなくて、当たり前の事実に気づくことの方が重要」という言葉がとても印象的でした。
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ちなみに、著者は犬には心がないと思っている、という批判があるようですが、それは言葉尻しか捉えていない揚げ足取りだと思います。確かに、犬には人間と同じ意味での心がないとは言われていますが、それは人間と犬とで世界の認識の仕方が違うということを意味するにすぎません。人間の世界認識の仕方が犬には想像できないように、犬の世界認識の仕方も人間には想像できないというだけのことです。だからといってわんこと人が家族になれないわけではありません。それに、著者は人間以外の哺乳類には感情があるともはっきりおっしゃっています。