哲学的ゾンビはクオリアの夢を見るか?3
次に気が付いたときには、夜の街をよたよたと彷徨い歩いていました。
たしか、ゾンビに噛まれて一時的にゾンビになったんだっけなぁ。
でも、人間に戻って、ベッドに横になったんだよなぁ。
そこまでは思い出せましたが、そのあとのことが思い出せません。
おそらく、人間に戻ったものの、また、ゾンビに戻って、外を徘徊していたようです。
前回、人間に戻ったときは、体の節々が痛くて、歩くのもやっとだったなぁ。
死後硬直してるので、手足の関節を曲げるとかなり痛いのです。
それが、手を前に差し出して、あまり手足の関節を曲げないように歩けば、うまく歩けることがわかってきたようです。
「なるほど、これがゾンビ歩きというものか」と妙に納得しました。
知らないうちに、ゾンビの歩き方を学習していたようです。
そういえば、ゾンビはクオリアがないはずだったけど、クオリアがなくても学習はできるのか。
ゾンビの脳は、記号化の経路(腹側視覚路)がなくなり、行動の経路(背側視覚路)だけとなる話を前回はしました。
行動の経路は、現実の3次元空間の世界に直結しています。
自転車に初めて乗ったとき、うまくバランスを取ることができません。
何度も練習しているうちに、倒れそうになったときの体の起こし方や、ハンドルの切り方、ペダルのこぎ方など、倒れないようにする方法を体で覚えていきます。
これは、行動の経路で学習しています。
このときのハンドルの切る動作などは、無意識で行っています。
「左に倒れそうになると、左にハンドルを切り…」などと頭の中で考えていては、時間がかかって倒れてしまいます。
頭の中で考えるとは、いったん、記号化して意識で記号操作することです。
意識が認識する記号がクオリアです。
クオリアとは、意識が「こうだ」と認識し、操作可能なものです。
意識が認識した時点で、それは現実世界から切り離された記号となっているので、現実世界とは別に操作できます。
実際に行動しなくとも、頭の中で、ハンドルを右に切ったり、左に切ったり考えることができるということです。
ただし、頭の中で考えている間に、現実世界は進んでいきますので、その間に自転車が倒れてしまいます。
記号化すると、余計な時間がかかってしまいます。
カエルが「ハエをどうやって捕まえようかなぁ」と頭で考えていては、ハエに逃げられてしまいます。
ハエを認識した瞬間には、舌を出す動作を行っていないと、ハエを捕まえられません。
絶えず動き続ける現実世界に合わせて行動する必要があるのです。
現実世界に直結しているとは、こういうことです。
自然界で生きていくには、クオリアは不要なのです。
クオリアがなくても、自転車に乗れるようになります。
現実世界にうまく合わせれるように動作のタイミングを調整できるようになります。
つまり、クオリアがなくても、学習はできるのです。
ゾンビになって死後硬直しても、うまくバランスを取って歩けるように学習することはできるのです。
少し安心しましたね。
(安心してんじゃ、ねえよ)
体の動きを調整して最適化するといったことは、AIの得意な分野です。
車の自動運転や、ドローンの自動飛行など、ディープラーニングで最適化することができるでしょう。
ただ、ディープラーニングができるのは、現実世界の中での行動の最適化です。
ディープラーニングだけでできたAIは、ゾンビと同じ、意識を持たないAIとなってしまいます。
人間のような意識を持たないゾンビや動物が、どのように世界を見ているのか、もう少し詳しく考えてみましょう。
動物は、獲物を認識すると追いかけて捕まえます。
敵を認識すると逃げたり隠れたりします。
つまり、知覚した情報に応じた、決められたパターン行動をするだけです。
「あの山の向こうに何があるのだろう」などと考えることはできません。
そのように考えることができるには、3次元空間の世界の中に自分が存在するという感覚がないとできません。
そもそも、世界と自分と分けて考えるには、世界と自分を記号化しないとできません。
記号化の経路がない動物は、そのように世界を認識しないのです。
記号化の経路がなく、行動の経路だけで認識する世界は、どのような世界でしょう。
バランスを取りながら自転車に乗っているときの感覚を想像してみましょう。
ただし、「この道をまっすぐ行けば、郵便局に着くぞ」といった感覚は持ってはいけません。
これは、記号化の経路での処理なので、動物は持ちえないはずです。
あくまでも、バランスを取りながら自転車を運転している行動だけに集中するのです。
横道から猫が飛び出してくれば、素早くハンドルを切るだけです。
この感覚が、意識を持たない動物の感覚です。
目で現実世界を見ているのは、人間と同じです。
ただ、「道の上を走っているなぁ」という感覚は、3次元世界の中の自分を認識しているので、記号化しているわけです。
記号化するとは、3次元世界にあるものを頭の中で再構築しているのです。
3次元世界を再構築するとは、いわば、3次元世界のプラットフォームを頭の中に設定し、その中に、目で見た物を配置するといったことです。
3次元プラットフォームとは、3Dモデルを配置できる座標空間のようなもので、その中に、3Dモデルである道路や街路樹や電柱を配置するのです。
自転車で走りながら、電柱や街路樹が通り過ぎる光景を見て感じられるのは、頭の中で電柱や街路樹を再構築した世界を作っているからです。
もちろん、その仮想世界には、自分自身も配置されます。
世界の中に自分が存在するという感覚は、3次元プラットフォームを意識が認識するから感じられることなのです。
眼がはっきりと捉えることができるのは、目の前のほんの一部分だけです。
直径10cmぐらいの円だけだと思ってください。
それ以外はきちんと見えていません。
ですが、目の前の一部以外にも世界が存在するとはっきりと感じられます。
目の前の一部以外の世界が消滅しているとは感じられません。
このように存在を感じられるのは、目で見た世界を直接認識しているのでなく、目で捉えた世界を仮想世界に構築し、それを意識が認識しているからなのです。
それでは、なぜ人間は、仮想世界を構築し、それを認識するような複雑なシステムを作ったのでしょう。
それは、その方が、より現実世界を正確に認識できるからです。
見ていないときでも、世界は存在します。
見ていない世界が消滅する世界の方が、現実の世界とかけ離れた世界といえます。
しかし、直接見て、感じたことだけに反応しても生きていけます。
人間以外の生き物は、そうやって生きています。
ただし、動物は、見えない世界は消滅していると感じているわけではありません。
3次元世界の中に、自分がいるという感覚すらもっていないのです。
自転車をこいでいる感覚、あの感覚だけで生きているのです。
自転車をこぐとき、3次元空間とか自分とか認識しなくても、倒れずにこぎ続けることができます。
知覚した現実世界に反応するだけです。
倒れずに自転車をこぐロボットを作ることはできます。
横道から猫が飛び出してくればよけることもできます。
外から見れば、人間が自転車をこいでいるのと違いがつきません。
ですが、そのロボットが見て感じている世界と、人間が見て感じている世界とは全く異なるのです。
今後、人間そっくりのAIロボットや、人間よりうまく運転する自動運転車などが出てくるでしょう。
だからといって、そのAIが、人間と同じように世界を認識しているとは限りません。
見た目や動作だけでなく、どのように世界を認識するかといったことまでも人間に近づけないと、人間と対等にコミュニケーションできるAIを実現することは難しいでしょう。
AIソフィアと言う人工知能ロボットが
人間と対話出来るそうです。それは、魂不在であっても、意識は存在していると考えます。万物に意識は有りますから。
コメント、ありがとうございます。
意識は、定義がきまってないので、どこまで意識があるか判断するのは難しいですよね。
僕が作ろうとしているのは、普通に人間と会話できる意識です。
AIソフィアとか、ペッパーとかは、会話データベースを使った、決められた会話パターンをするタイプで、まだ、自然な会話にならないようですね。