哲学的ゾンビはクオリアの夢を見るか?4
深夜の住宅街で、ゾンビから人間に意識が戻った僕は、なんとか、誰にも出会うことなく自分の家に辿り着くことができました。
少し落ち着こうと、リビングのドアを開けた時、中から声がしました。
「待ってたぞよ」
見ると、知らないおじいさんがソファに座って声をかけてきました。
「やっと帰ってきたぞよね」
「えっ。だっ、誰ぞよか。」
「あっ、いや、誰だ、お前は!」
「つられたぞよねぇ」とおじいさんはニヤニヤしています。
「覚えてないぞよか?」
「その声は。もしかして、昨日、突然噛みついてきたゾンビのじいさん?」
思い出しました。
全ては、このゾンビのじいさんから始まったのでした。
思い出す?
たしか、ゾンビになるとクオリアが消えるはずですが、記憶はできるのでしょうか?
思い出すことはできるのでしょうか?
前回は、物を見た時の、人とゾンビ(動物)の認識の違いについて詳しく説明しました。
ゾンビや動物は、現実世界を直接認識して、反応しているだけです。
カエルは、ハエを認識した瞬間、舌を伸ばして捕まえるだけです。
現実世界に反応しているだけなのです。
現実世界は、絶えず動き続けます。
ゾンビが認識するのは、ほんの一瞬の「今」だけです。
「今」を留めておくことはできません。
ゾンビは、永遠の今を生きているといえます。
人は、仮想世界を頭の中に再構築し、それを認識します。
絶えず動き続ける現実世界そのものでなく、世界全体をそのまま作り直した仮想世界を認識します。
動き続ける現実世界を、一瞬、留め置いて、それを認識するのです。
だから、認識した世界を、そのまま保存することができるのです。
これが記憶です。
いったん、保存した記憶を仮想世界に戻して、それを意識が認識すること。
これが思い出すことです。
クオリアがあれば、記憶したり、思い出したりできるのです。
前回説明したように、クオリアがなくても学習はできます。
死後硬直しても、うまくゾンビ歩きができるようになります。
学習ができるということは、何かを記憶しているはずです。
クオリアがある場合の記憶と、クオリアがない場合の記憶は何が違うのでしょう。
クオリアがない場合とは、行動の経路のみの場合です。
行動の経路での学習は、現実世界への行動の調整です。
ハエを取り逃がしたカエルが、次は、ハエを捕まえれるように、ハエを認識してから舌を伸ばすまでの時間をより早くするといった調整です。
いわば、パラメータの調整です。
記憶しているのは、現実世界で動作する身体の応答の仕方といえます。
歩き方や自転車の乗り方など、体で覚えるタイプの記憶が、クオリアなしで記憶できるものです。
一方、人の場合、記憶しているのは知覚した世界そのものです。
現実世界で展開された出来事そのものを記憶できます。
修学旅行の思い出、卒業式の思い出、そういった出来事を記憶できます。
これは、エピソード記憶とも言われます。
人は、記憶することができるようになって、時間という概念を理解できるようになりました。
空間や、時間を理解できるとは、どういうことでしょう。
人の意識は、現実世界を再構築した仮想世界を認識します。
仮想世界は、3次元プラットフォームを持ちます。
3次元プラットフォームは、3Dオブジェクトを配置できるプラットフォームです。
3Dオブジェクトを配置し、正しく操作できるということが、3次元世界を理解できるということです。
3Dオブジェクトとは、たとえば「机」や「椅子」のクオリアです。
3Dプラットフォーム上で、「机」や「椅子」を移動させることができます。
3次元プラットフォームに、「痛み」のクオリアを置くことはできません。
「痛み」は、空間に置かれるような物体ではないからです。
これが、3次元空間という概念を理解しているということです。
同様に、現在、過去、未来は、いわば、時間軸プラットフォームに配置されます。
時間軸プラットフォームでは、同じオブジェクトが、過去から現在、未来へと続く時間軸に沿って変化します。
人は生まれ、大人になり、年老いていく。
机から落ちたガラスのコップは床にぶつかって砕け、ばらばらになる。
これが時間の流れです。
時間軸プラットフォームに置かれたオブジェクトは、時間軸に沿って変化します。
逆に進むとおかしいと感じます。
ばらばらのガラスの破片がコップに変化するとおかしいと感じます。
時間が経つと、机が椅子に変化するというのは、おかしいと感じます。
これが、時間という概念を理解しているということです。
クオリアを失うと、3次元世界に生きているという感覚が失われます。
現実世界に応答するだけの、永遠の現在を生きるだけとなります。
時間という感覚も失われます。
過去を思い出したり、未来を想像したりできません。
これがゾンビの生きる世界なのです。
なるほど、クオリアがなくなると、記憶することも、時間の感覚も失われるのか。
それで、人間に戻ったとき、ゾンビのときのことを思い出せないわけだ。
そういえば、人間に戻っても、昔のことをだんだん、思い出せなくなってきているなぁ。
これは、クオリアが消えていっているのだな。
おそらく、次にゾンビになったときは、もう、二度と、人間に戻れないだろうなぁ。
それにしても、今回も、クオリアについて、実にいろんなことがわかったなぁ。
実に勉強になったなぁ・・・
なんて言ってるばあいじゃねぇや。
「じいさん、この体、何とかしてくれよ!」
「ふぉっ、ふぉっ、ふぉっ、そういうと思ってたぞよ」
「そのために、今日はここまで来たぞよ」と言いながら、胸元から一本のビンを取り出しました。
「これを飲めば人間に戻れるぞよ」
「えっ、そんな薬があるのか」と、そのビン奪い取り、ラベルを見てみました。
「『ゾンビ・ナオール』だと!」
「なんと、分かりやすいネーミングなんだ」
「こんな名前を付ける会社といえば、まさか、あの製薬会社じゃ・・・」そう言いながらビンの裏のラベルを確認しました。
「そう、そのとおりじゃ。『小林製薬』ぞよ」
「小林製薬が作るとは、・・・。既に、そんなにゾンビが増えているのか」
「他にもあるぞよ」
「人間に戻るより、いっそ、人生を終わらせたい人には、この『ポックリン』がおすすめじゃ」
「これは、『グッスミン』と間違えて飲む人が多いから、使用上の注意をよく読んでから飲むぞよ」
そんな話を聞いている間にも、目の前から机やソファが少しずつ消えていくのがわかりました。
クオリアが少しずつ、消えていっているようです。
また、ゾンビに戻ろうとしていました。
今度、ゾンビに戻れば、もう二度と人間に戻れません。
ここがどこか、今がいつなのかも分からなくなってきました。
いや、「ここ」とか「いつ」という感覚がありません。
どっちが上で、どっちが下かもわからなくなってきました。
自分と世界の境界があいまいになってきました。
時間も空間も全て溶け出し、にやにや笑うおじいさんの口元だけにが、チェシャ猫のように世界の端に取り残されていました。
かろうじて、「これをもらいます」とだけ言って、僕は、一気にゾンビ・ナオールを飲んだのでした。
気が付くと、おじいさんの姿が少しずつ形をなしてきました。
自分と世界が分離していきます。
時間が再び流れはじめました。
僕の世界に、クオリアが戻ってきたようです。