【マインド・エンジン】絶対不可能といわれていたコンピュータによる言葉の意味理解。ついに成功したので公開します。
YouTube始めました 物理学で「意識」は解明できるのか by 谷村ノート
YouTube始めました 物理学で「意識」は解明できるのか by 谷村ノート
こんにちは、田方です。
ようやく、始めました。
YouTubeです。
文字より、動画
ブログよりYouTube
記念すべき、第一回は、
物理学 vs. 哲学
物理学で「意識」は解明できるのか
です。
哲学者に物理学者が、マジ切れしたと話題の
「一物理学者が観た哲学」(谷村省吾)
通称、谷村ノート
http://www.phys.cs.is.nagoya-u.ac.jp/~tanimura/time/note.html
「哲学者たちは、・・・現代物理学の根幹を否定するような論説を平気で披露してくれる」
と、かなりお怒りの模様。
この手の争いは、300年以上前から、ずっと続いているわけでして、
まぁ、今更感が否めないと思いますが、
そろそろ、新しい視点が欲しいですよね。
多分、多くの人は、こんなの結論なんか出ないよって思ってると思いますが、
今回は、結論、出しちゃいました。
もうそろそろ、物理学者も、要素還元主義は止めましょうよ、ってことです。
おっと、この流れで行くと、どこか懐かしい、’80代のニューサイエンスとか出てきそうですが、
そっちじゃないです。
続きは、動画でご覧ください。
どこかで見たことあるオープニングは、スルーしといてね。
ハードルを上げ過ぎたと、ちょっと後悔(≧◇≦)
おまけ動画
「スーパーでの出来事」
https://youtu.be/qKfOeMdGWxA
いやぁ、レシートはチェックしといたほうが、いいですね。
ROBOmind Project に声援を送ります
1. まえおき
『一物理学者が観た哲学』(いわゆる谷村ノート)の著者の谷村省吾です。大学教授であり、理論物理を専攻しております。このコメント欄を最初に汚すご無礼をお詫びします。
田方さんの「目指すところは・・・意識と物理科学(化学?)の両立です。物理科学に矛盾しない形でどうやったら意識や心を生み出すことができるのか」(ビデオ7:50あたりから)という問題提起は、私も惹かれます。田方さんがこのような大問題に真剣に取り組まれていることに敬意を表しますし、田方さんの研究のご発展を期待します。
動画の中でも紹介されているとおり、著書『〈現在〉という謎』における哲学者たちの言説・態度に対して私は納得のいかないことが多く、私はノートを書いて批判しました。この本のテーマは、タイトルどおり、「現在」や「時間」とは何だろうかと考えることにあります。「心身一元論・二元論」の対立は、私は本の原稿を書くときもノートを書くときも主テーマだとは思っていませんでした。ですので、谷村が心身問題について一家言を持っている物理学者らしいという形で引用されるのは意外なことです。もちろん私が気を悪くすることではありませんが。
2. 私は青山論の「時間差あり相互作用ありの非物理的精神・物理的身体論」を批判している
本『〈現在〉という謎』の中で、哲学者の青山拓央氏は心身二元論の立場から「意識の現在」という概念を論じています。とくに〈信号の伝達や脳内の情報処理といった物理的過程の探究が終わり、意識状態と対応する最終的な物理状態が明らかにされたとしよう。では、その物理状態がある意識状態を生み出すのに、さらなる時間は不要なのか〉という問題提起をされています(現在という謎 p.130)。
この本は討論形式で書かれた本であり、私は青山氏の原稿を読んでコメントの節を書きました。その中で、〈この問いを立てるということは、そもそも「物理的なシステムの物理的性質・物理的状態ではない意識状態というものがある」と青山氏は考えているようだが、では意識状態の定義は何なのか?〉、〈「最終的な物理状態は達成されているが意識状態はまだ生じていない」という状況を想像するということは、「痛いという質感を感じている最中の脳神経細胞と、質感をまだ感じていない脳神経細胞とを比べて、細胞内のすべての分子・原子・電子たちが物理的・化学的にまったく同一の状態であり、ただ意識状態だけが異なっているということがありうる」というふうに青山氏の文章を読むべきなのか?〉などとコメント原稿に書きました(同書 p.144)。とくに〈物理的過程の探究が終わり、意識状態と対応する最終的な物理状態が明らかにされたとしよう〉という青山氏の仮定に私はひっかかりました。
私のコメントに対するリプライとして青山氏は〈…というふうに青山氏の文章を読むべきなのか?」と書かれているが、拙論での分析において、その答えはイエスである。〉と答えられました(同書 p.164)。
また、青山氏は「頭に火の粉が降りかかってから、「熱い!」という質感意識が生じ、火の粉を手で振り払う」というプロセスを思考・観察して、「熱い」という意識が生じた時刻は、頭に火の粉が降りかかった時刻と、火の粉を手で振り払った時刻の間にあると定められる、という推論を示していました。
つまり、青山氏は「意識というものは物理法則に従う物理システムの物理現象や物理状態ではないが、意識と身体は時間軸を共有しており、意識は身体からの感覚刺激の信号を受け取り、意識は身体に運動の指令を送っている」という前提にもとづいて、意識と身体の時間遅れを論じています。
私は、意識というものが単純に1個の脳細胞の興奮状態に帰着されるとは思っていません。また、意識というものが物理学で解明されたとも思っていません。将来にわたって解明されないかもしれません。
私の考え方は、コンピュータを身体、プログラムを意識に喩えるなら、同種類のシリコン原子や銅原子を同一配置に並べて、量子論的な電子状態(CPUのゲートのオン・オフ状態など)まで含めて同一な状態のコンピュータが2台用意されれば、2台のコンピュータは同一のプログラムが実装され実行されている状態になっているだろう(一方のコンピュータではマリオがジャンプしていて、もう一方のコンピュータではマリオはジャンプしていないということはないだろう)という考えなのです。
プログラムという抽象的なものも、実行されるときは物理的な電子状態として実装されます。もちろん実装の仕方は一意的でなくてもよいでしょう。シリコンチップの上に実装してもよいし、そろばんの上に実装してもよい、脳細胞シナプス結合の形で実装してもよい。しかし、実装する物理システムが同一、実装の仕方としての物理状態も同一なら、その上で動いている「ものごと」も同一であろう、相違が生じる余地はないだろう、というのが私の主張なのです。
この考えが正しいことは証明されてはいないでしょう。しかし、人間・生物の身体は物理的原子分子でできています。原子分子以外のものはなさそうです。原子分子は物理的状態以外の何ものか(魂とか精神とか?)を備えているようには見えません。それは科学的にかなり正しい事実です。それゆえに、「非物理的意識が、最終的物理現象を超えて、ひょっとすると時間差も伴って、物理的身体と連絡し合っている」という仮説は、私には、科学的に受け入れがたいのです。
こういう論点を私は100回以上述べている気がするのですが、「谷村は心身一元論が正しいと断定しているが、そのような主張は科学的に立証されていない、谷村はたんなる信念と科学的事実とを混同している」という批判を私が受けまくっているのです。
3. 私は青山論が空論になっていることを批判している
これも私は100回以上言っていると思うのですが、心身一元論・二元論はあの本の主題ではないし、私のノートの主題でもありません。
青山拓央氏の論説に関して言えば、私は『〈現在〉という謎』の青山パートの、大問題を扱うのに、ふわっとした議論の仕方をしている点を批判しているのです。意識だけでも大問題なのに、「意識の現在」をどうすれば同定できるのかという一段と難しい問題を扱うのに、青山氏は、非因果的二元論の立場を徹底すれば「生物が天敵に出会って1 万年後に恐怖の意識が生じることは、十分に想像可能である」と(想像するだけなら私も想像しますが)、どう考えても現実的でない状況を想像してみせたり、「物質は大地に位置し、意識は空に舞う凧としよう」という意味不明なレトリックを使ったりしていて、結局、まともな答えは出さない(このレトリックからは答えは出なかったということが青山氏の文章に書いてあります)。
唯一、私から見てわかる青山氏の答えは、「熱いという意識が生じた時刻は、頭に火の粉が降りかかった時刻と、火の粉を手で振り払った時刻の間にあることは定められる」という部分だけであり、それを言うだけだったら、別に心身一元論でもよかったではないのか、と私は批判しました。
この場を借りて長々と釈明・再批判してしまいましたが、谷村ノートのことを聞きつけた人のうち多くが、谷村ノートも『〈現在〉という謎』もちゃんと読まずに、ともかく「谷村が心身二元論を否定し、心身一元論が正しいと断定している」という点にだけ鋭く反応して、「こいつは心の哲学の大問題を理解していないのか、意識のハードプロブレムを知らないのか、科学万能主義者か」という心配と批判を私が受けまくることになったわけです。
私のノートの書き方も甘かったとは思いますが、心身二元論を否定することに対して人々がこんなにも強烈に拒絶反応を示すとは、私は思ってもみませんでした。
ただ、私を批判する人たちも心身二元論とは何かを明確に定義せずに、急いで何かを述べようとするので、私は返答に窮します。ここでは、精神(意識)は物質的身体とは別ものであり物理法則にも従わない何ものかである、とする論を心身二元論と定めます。しかし、意識とは何かという問題に冷静に科学的に取り組もうとするなら、しかも意識を実世界中に実装された形で作ろうとするなら、このような心身二元論をよりどころとしてはいられないと思います。
一方で、ハードウェアとソフトウェアという意味での二元論なら、実装という観点からも議論・研究できると思います。
4. 意識の問題に戻って
私は、意識の問題は、興味ある未解決問題だと思っています。一生をかけてでも、考え、研究する価値のある問題だと思います。また、コンピュータという新たな知的リソースが大量に出現したいまの時代こそ、意識の起源を、思弁的方法のみで考察するのではなく、科学的方法で研究する絶好の時期だと思います。私自身、一連の議論を通して、意識の科学化というテーマを我がこととして考えるようになりました。
田方篤志さんは、谷村ノートが出現する遥か以前から、意識とは何だろうか、どうやったら意識を作れるのだろうか、という大問題に対して、腰を据えて実践的・科学的に研究されていらっしゃるようです。その鋭い問題意識と真剣な姿勢に尊敬の念を抱きます。
今回は、たまたまタイミング的に谷村ノートに言及していただいたのだと思います。引き合いに出していただいて光栄です。田方さんのプロジェクトに関係のない、私の自己弁護の長文駄文をコメント欄に投げ入れて、大変失礼していると思います。その点、お詫びします。ただ、こういう形で谷村ノートに言及していただいて、私としても釈明をしておきたいことがありました。
繰り返しになりますが、ROBOmind Project のご発展・成功をお祈りしています。
谷村省吾
追伸:
「このコメント欄を最初に汚すご無礼をお詫びします」と書きましたが、ブログに対するコメントはすでにたくさんありましたね。YouTube 公開された後の最初のコメントかもしれない、という意味にお取りください。失礼しました。
本名を出さないと意味がないので、記名させていただいています。
谷村省吾
谷村様
コメント、ありがとうございます!
まさか、本人からコメントいただけるとは思っておらず、興奮しております。
僕は、大学にも研究機関にも属していない市井の一(自称)研究者ですので、きちんと相手していただいただけでも感謝しております。
谷村ノートは、「よくぞ、ここまで言ってくれた!」と快哉を叫んで読ませていただきました。
哲学者に対する僕の意見は、ほぼ、谷村先生と同じです。
僕も、理系に属しますし、分からないなりにも哲学書も読むこともありましたが、哲学者とは、わざと分かりにくく表現して面白がる衒学者の集団だとの結論に至りました(そうでない人もたくさんいらっしゃいますが)。
分からないことを分かった風にやり取りするのが哲学界隈の流儀らしくて、それに本気で突っ込んだら、どうなるだろうとよく思っていたのですが、それをやってくれたのが谷村先生だったわけです。
よくぞ、言ってくれました。
そのように思っていますので、僕は、「中学生にでもわかるように語ろう」という信条で活動しています。
そして、科学に立脚するということも忘れないようにしています。
YouTubeの目的は、自分の仮説を広めることで、そのきっかけとして、話題の谷村ノートを取り上げさせていただいたのですが、谷村先生を批判するような意見となってしまったことは、お許しください。
その上で、改めまして、先生のコメントにお答えしたいと思います。
これは、おっしゃる通りです。
動画の僕の表現は、少し言い過ぎています。
訂正してお詫び申し上げます。
僕の言いたいことを、もう少し正確に申し上げると、
「ハードウェアであるCPUが全く同じでも、その上で実行されるプログラムが同じとは限らない」となります。
電子の動きまで同じと仮定すれば、同じプログラムが動いているといえます。
さて、ここからが僕の意識仮説です。
僕は、「意識の仮想世界仮説」という説をとなえておりまして、それは、意識が見ている世界は、現実世界そのものでなく、現実世界を脳内で仮想世界として再構築して、その仮想世界を意識が観察しているというモデルです。
興味があれば、ブログを読んでいただけたらと思いますし、これから、YouTubeで語っていく内容も、これが中心となります。
意識は、この仮想世界が、あたかも本物の現実世界と思って、その中で生きているというわけです。
「痛み」や「時間」というものも、すべて、仮想世界に構築されて、意識はそれを感じるという考えです。
仮想世界というのが、ソフトウェアで実現されていて、「時間」や「重力」といった現実の物理世界に存在するものから、「お金」や「神」といった物理科学では扱えないものまで扱うことができるわけです。
そして、物理的な現実世界が同じであっても、それを脳内で再現した仮想世界は、人によって異なり、同じ世界を生きているのに、ある人は神を感じ、ある人は神を感じないということになります。
これが僕の思い描く意識のモデルです。
「心身二元論」というより、現実世界と、意識が見ている世界が違うというわけです。
現実世界の側にハードウェアである脳が属し、脳内に作られた仮想世界はソフトウェアで実現され、意識は、この仮想世界の側に属します。
「時間」は、現実世界と仮想世界の両方に存在するので、非常に厄介です。
今回は話題に上りませんでしたが、リベットの実験は、< 現在>という「時間」を考えるうえで非常に興味深いです。
意識の話題となると、話が尽きませんので、このぐらいにしておきます。
谷村先生の、哲学者への意見、僕だけでなく、多くの理系の人が思っていたことだと思います。
理系の人間はあまり声をあげないと思いますが、陰で応援している人は多いと思いますので、今の姿勢を貫いてください。
僕も、全力で応援しています。
田方篤志様、丁寧なお返事、ありがとうございます。このプロジェクトもこのウェブページ内容も素晴らしいと思います。私を批判しているかのように取られかもしれない点など、私はまったく気にしていませんので(とまで言うとかえって語弊があるかもしれませんが)、遠慮なくそのままにしておいてください。
「意識の仮想世界仮説」という説、「意識が見ている世界は、現実世界そのものでなく、現実世界を脳内で仮想世界として再構築して、その仮想世界を意識が観察しているというモデル」とのこと、私にもわかります。現実世界に対して、仮想世界・内面世界・表現世界とでも言ったらよいものを人間は構築することができて、しかもその世界を観察・記述もできる、という自己観察・自己言及性が人間の意識の特徴だと私も考えています。つまり、人間の意識は、外部世界を内面世界にモデル化しシミュレートできる(これを徹底したのが物理学でしょう)だけでなく、内面世界をさらに内面化することもできる(従って無限ループに陥ることもある)というのが、人間の意識が達成している能力だと思います。
私にとって(他の科学者にとってもでしょうが)不思議なのは、そのような自己観察・自己言及システムとしての意識が、没目的的に見える物理的システムである生物身体の上に自然に出現した、ということです。「創発」という言葉で済ませてしまえばそうなのかもしれませんが、創発なら創発で、そのしくみや、必然性なり偶然性なりを理解したいと思います。
現代は、意識の科学という課題に真剣に取り組むのにうってつけの時代だと思います。私が生きている間に完全な答えは見い出せないかもしれませんが、何か正解に近いものは見ることができると期待しています。
谷村省吾
谷村先生
お返事までいただき、恐縮です。
意識が、どのようにして生まれたかは、大きな謎ですよね。
僕は、哲学ほどじゃないですが、進化論も眉唾で見ています。
生物の進化なんて、競争だけで連続的に進化してきたとは、とても思えません。
どちらかというと、ドラスティックに非連続に進化してきたと思っています。
その一つが、猿からヒト(ホモ・サピエンス)への進化です。
僕の考えでは、非ノイマン型アーキテクチャの脳が、ノイマン型アーキテクチャを獲得したことだと思っています。
これにより、現実世界にないものを空想できるようになり、これが、言語、宗教、文化などを生み出す源泉になったと思っています。
「創発」という言葉は、説明できない結果を説明するのには便利な言葉ですが、何の解決にもならないと思っています。
僕の説も、どうやって起こったかは説明できないですが、構造的な違いだけでも説明したいと考えています。
意識の謎が解明できるかわかりませんが、少なくとも、退屈しない人生にはなりそうです。
参考
「脳を観察して心はどこまで解明できるか」
「脳型コンピュータに本当に必要な機能1 ー ウェイソンの4枚のカード問題」
田方篤志様、さらに返信、ありがとうございます。人様のブログへのコメントとしては、しつこすぎるかもしれませんが、もう一つ気になったことを述べます。
返答の中で「進化論も眉唾で見ています」と書かれた点はリスキーだと思いました。生物間の競争だけで連続的に進化してきたとはとても思えないのは、そうかもしれませんし、ドラスティックに非連続に進化したかもしれないのも、そうかもしれません。ただ、進化論を眉唾と言ってしまうと、その一言だけで現代の科学者の多くがそっぽを向いてしまう可能性があると思います。
「いまや進化論ではなく、進化学だ」という精神で岩波書店から「進化学」と題するシリーズ本が2004年に刊行されていますし、「日本進化学会」が1999年に設立されています。(進化“論”は英語で theory of evolution ですが、進化“学”を英語で何と言うのかは知りません。evolutionology?)
・シリーズ進化学(岩波書店)
https://www.iwanami.co.jp/book/b257325.html
・日本進化学会 (Society of Evolutionary Studies, Japan)
http://sesj.kenkyuukai.jp/special/index.asp?id=1406
わざわざ「進化学」という表現を使うのは、進化論はもはや仮説ではなく科学的に裏付けされ支持されて一つの学問体系をなしている、という科学者の自信を反映しているのだと思います。もちろん進化の機構や進行の速さについては諸説あるでしょう。進化は、ゆっくり進む漸進的な変化なのか、急激に一気に進むものなのか、という点も、決着がついているのかどうか、私は知りませんし、実際には、漸進と急進の両方が入り混じっているのだろうと思います。
プログラムの可変性の乏しい非ノイマン型アーキテクチャから、プログラムの取り換えを前提としたノイマン型アーキテクチャへの変化が、ヒト以前の種とヒトとの大きな差であろうことは、私も同意します。ただ、これも、可変性の「なし・あり」の明瞭な線引きができるか?というと微妙なところであり、おそらく生物学者は、プログラム可変性の「なし」と「あり」の間のいろいろな中間的・混合的な例を知っているだろうと思います。
脳の機能をモジュール化したおかげで、外部刺激に対して即時に判断・応答するだけでなく、外部刺激によらずに現実世界にないものをも想像できるようになったことがヒトの著しい特徴であることも、強く同意します。この種の想像力を獲得したことと、ヒトの意識が豊かな内面世界を構築できることは、ほぼ同義だろうと思います。ヒトの場合は、自己モニターし、いくつかの想像上のプランを作って内面世界でシミュレートして比較し、自分でプランを選んだつもりになって、自分に実行命令することができる、ついでに他人の意識もなんとなくわかったつもりになれる。そういったことがヒトの著しい特徴なのでしょうね。
そういったことはすでにこのロボマインドプロジェクトの解説にも書かれていることなので、私が重ねて言う必要はありませんでした。ただ、このブログの、私とのやりとりだけを読んで、「こいつら何にもわかっておらん!けしからん!」と早合点する人もいるでしょうから(世の中にその手の人は多いです)、防御ラインを張っておいた方がよいだろうと思って、再コメントしました。私からとくに苦言申し上げたいわけではありません。
また、「なんだ、谷村は唯物論的心身一元論を信じて満足していたんじゃないのか、谷村は意識のハードプロブレムに本気で取り組むつもりか?」などと思われる向きもあるやもしれませんが、意識の科学化は、部外者がちょっと首をつっこんだくらいでやれるような生易しい課題ではないことは私でも認識しています。サイドビジネス・サイドリサーチにもならない、サイドスタディくらいの気持ちで、皆さんの研究を横目に見て刺激を受けながら、自分だったらこんなふうに考えるという機会にさせていただきたいと思っています。
部外者からの気楽なコメントに丁寧に応対いただきまして、ありがとうございました。ロボマインドプロジェクトのご発展を応援し、見守りさせていただきます。
谷村省吾
谷村先生
コメント、ありがとうございます。
たしかに、安易に批判するべきでないですよね。谷村先生からの指摘だと考えると、言葉の重みが違います。
今まで、アカデミズムなどとは無縁で、一人で気楽に研究してきたので、こういったことは何も考えずに発言してきましたが、いろんな人が見ていることを考えると、慎重に期すに越したことはないですね。
アドバイス、ありがとうございます。
脳の非ノイマン型アーキテクチャからノイマン型アーキテクチャへの進化、自分で言っておきながら、こんなことが、本当に進化の過程で起こるのかと思います。
全て突然変異で説明するのは、無理があるんじゃないかとか。
非ノイマン型アーキテクチャとノイマン型アーキテクチャの中間状態って、あるのかなぁとか。
ひとまず、脳がどうやって進化したかの解明は、ほかの人に任せようと思っています。
素人の僕のアイデアに、理論物理学者の谷村先生が同意してくれたのは、本当に心強いです。
僕のアイデアに同意するなんて発言、それこそリスキーだと思いますが・・・。
今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。
田方さん。こんにちは。
YouTubeで動画を拝見しました。
たしかに動画で解説はわかりやすいですね。
これからも期待しております。
意識について思うことを述べさせて下さい。
個人的に今はディープラーニングにハマっておりまして
色んな関連書籍を読んだり、SONYのニューラルネットワーク コンソールという
GUIで簡単にニューラルネットワーク を設計できるソフトを試しにいじってる程度です。
使い方の入門書を読みながら試している程度で
まだまだ進んでおりませんし、とてもマスターは出来ておりませんが…。
それに数学は苦手なので数式の意味や理解が一番厄介で難して無理ですw
田方さんは意識のモデルをニューラルネットワークの図で表す場合
どんなネットワークを描くとお考えですか?
ディープラーニング にはCNNだとか色んなアルゴリズムはありますけど
そうした図を眺めても、そこにはクオリアだとか意識だとかは見えてこないのです…。
あと、ディープラーニング があらゆる記号と概念を結びつけるようになったら
真の言語理解が可能なAIが出来ると松尾豊さんの本に書いてあったけど
そこには意識を持つようになるとか書いてなくてショックを受けたことがあります。
意識は不要なのかどうかはわかりませんけど。
もう一つ疑問があるのですが、例えば
「机の上にリンゴが1個あります」という言葉や文章があれば人間は、一瞬で頭の中で机の上にリンゴが1個ある光景を想像できて
それで言語理解が可能なわけですよね?
今のAI技術は文章の内容を画像に変換することが可能です。
つまり、ネットの画像検索ではなくて
文章から画像生成しています。
気になるのは「机の上にリンゴが1個あります」という文章から机の上にリンゴが1個ある画像を生成出来たら
そのAIは人間と同じように、本当に言葉の意味を理解出来た。言語理解が可能な汎用AI、真のAIだと言えるのでしょうか?
よろしくお願いします。
krat様
コメント、ありがとうございます。
AI史を踏まえると、記号主義とコネクショニズムに大きくわかれます。
ディープラーニングは、コネクショニズム派で、僕は、記号主義に近い考えです。
(最終的には融合すると思いますが)
詳しくは、「『教えて!いろはちゃん』全文掲載」をご覧ください。
そのうえで、ディープラーニングからは、人間のような意識は生まれないと考えています。
素早く動く昆虫や動物のようなAIはできると思いますが、言葉を話したり、意味を理解するAIは機械学習では無理だと思っています。
ここは、ものすごく重要な点です。
結論としては、画像生成だけでは、意味理解とは言えないと考えています。
それでは、意味を理解するとは、どういうことか、これは、今後、動画でじっくり語っていこうと思っていますので、楽しみにお待ちください!