【Wiki全面修正】これを抜かすとはあり得ない!言語の起源、3つの条件

【Wiki全面修正】これを抜かすとはあり得ない!言語の起源、3つの条件

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言語の起源をWikipediaで調べると、おかしなことがいっぱい書いてあるんですよ。
「ワンワン説」とか、「エンヤコラ説」とか。

たぶん、そういうのもあると思います。
でも、重要なのはそこじゃないんです。

「わんわん」ていう前に、犬に注目するとか。
注目するってどういう事?
とか。

そのレベルから、考えていかないと、言語の本当の起源は分からないんです。

人間にとって、あまりにも当たり前すぎて、飛ばしてしまうこと。
じつは、そういったとこに、最も重要なことが隠れてるんです。

そこに気づくには、人間じゃ無理なんです。
人間の場合、自然にやってるので、何が必要なのか気づけないんです。
人間以外に言葉を理解させて、初めて気づけるんです。
コンピュータに言葉を理解させようとして、ようやく、何が重要なのか見えてきました。

そんな、話です。

 

 

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“【Wiki全面修正】これを抜かすとはあり得ない!言語の起源、3つの条件” への8件のフィードバック

  1. アバター 佐藤直幹 より:

    こんにちは。

    私も言語の起源を研究し始めて、かれこれ十数年になります。

    動画で触れている内容は、どれももっともだと思うのですが、言語の定義に関して、私の定義と大きなギャップがあるようです。私の言語の定義は「個人と集団の記憶の組織化及び進化」をさせるツールで、言語のおかげで人間は「時間感覚(エピソード記憶)」と「個人と集団のアイデンティティーを獲得」することが出来ます。ただ、これが実現するためには、人間同士のコミュニケーションは必須です。しかし私はコミュニケーションはあくまで副次的なものとみています。「記号」に関しても、私の定義とはかなり違うと思いますが、大筋では同意できます。

    AIで「個人の記憶の組織化」をシミュレーションして、コミュニケーションをとれるようにすることは可能かもしれませんが、そこに本物の「意識」が生まれるかどうか、私は疑問です。

    • 田方 篤志 田方 篤志 より:

      佐藤様
      コメント、ありがとうございます。
      ブログも見させていただきました。
      ソシュールの研究をされてる方なんですね。ソシュールの研究家から言語に関してコメントいただけるとは光栄です。
      意識に関しては、人によってかなり定義が違うので、何とも言えないですが、僕が想定する意識は、言語解釈エンジンといったところです。
      言語を考えるとき、言語そのものじゃなくて、言語を解釈する機能が重要じゃないかと思ってます。
      現在は、コンピュータがあるので、それを実現して実証できると思っています。
      そこが、ソシュールの時代との最大の違いですね。

  2. アバター 佐藤直幹 より:

    返信ありがとうございます。

    私はソシュールの研究をしていますが、今のソシュール記号学は誤解されて広まってしまったと考えています。今、それを修正すべく研究をしているところとご理解ください。

    言語を理解するという壮大なテーマを、一つ一つ分解して、そしてハードルを先ずかなり下げて(確か、小学校低学年程度の会話だったと思います)、「意味」を理解する「コミュニケーション」に絞って取り組むのは非常に有効だと思います。

    そして時間に関する認識に関しては、私はかなり全面的に賛同します。自分の記憶に選択的にアクセスできるのは人間のみです。「意味を理解する」というのは、記憶の組織化を行うことであると考えています。

    言語を語るとき「アイデンティティー」の問題がよく提起されますが、これに関してはどうお考えですか。ロボマインドプロジェクトでは「アイデンティティー」、つまり「自分は○○である」という認識を持ったAIを目指しているのでしょうか。

    私は「アイデンティティーを持つこと」と「時間感覚を持つこと」のメカニズムは、共通だと考えています。ここに「記号の離散性」というのを想定しています。(私は「記号の恣意性」はソシュールの大失敗であったと認識しています。)

    私も今まで、言語のメカニズムに関して、ずっと独りで研究してきたのですが、田方さんの考えが自分の考えに非常に近いこともあり、びっくりしているところです。私は、外国語学習(英語、韓国語、フランス語、フランス手話、イタリア語)を通して、言語のメカニズムを解明しようとしてきました。いわば、自分自身を実験台にして研究をしてきたわけです。

    面倒な質問をするかもしれませんが、お付き合いいただければ幸いです。

    • 田方 篤志 田方 篤志 より:

      佐藤様

      コメントありがとうございます。
      言語のメカニズムを独りで研究されてた方と考えが非常に近いとは、僕も驚いてます。
      僕は、自分のやりたいことを教えてくれる人がどこにもいないとわかって、仕方なく独学で研究するしかなかったものでして。
      僕は外国語は苦手ですが、自分自身を実験台にして研究してるのは同じですね。

      ロボマインド・プロジェクトで、アイデンティティは、間違いなくありますね。
      自分と他人の区別は、絶対必要なものですし。

      まず最初に必要なのは、世界と自分とを分けること。
      その次に、自分を客観視すること。
      そして、自分と同じような心を相手も持っていること。
      これらが理解できて、初めて、言語をもったコミュニケーションが成り立つと思っています。

      今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。

  3. アバター 佐藤直幹 より:

    田方様

    私のブログのタイトルは「言語学の嘘」です。フランスで言語学の勉強を始めて、学界の言語学は嘘ばかりであることを理解したので、独学で言語の研究をすることにしました。因みに、私が会社を辞めて渡仏したのは29歳の時です。

    アイデンティティーに関する回答ありがとうございます。

    世界と自分とを分ける事が大事であることは私も賛成ですが、言語にはもう一つの区別があります。それが123人称の会話の入れ子構造です。ただ、日本語に関しては、これが文法的な形で表面化しませんが、多くの言語(英語やフランス語)では重要な文法的カテゴリーになります。日本語は、一人称も含めて全てを固有名詞で表現する三人称の言語だと私は考えています。

    田方さんの場合、こんな感じで当てはまる気がします。

    まず最初に必要なのは、世界と自分とを分けること。>世界を三人称として認識
    その次に、自分を客観視すること。>自分を一人称として認識
    そして、自分と同じような心を相手も持っていること。>相手を二人称として認識

    私は子供の時、自分を「なおちゃん」と呼んでいました。この呼び方が「子供っぽい」と気が付いて、無性に恥ずかしくなり、初めて「ぼく」を使った時の衝撃を私は未だ覚えています。三人称から一人称への強制転換。私の言語に関する原体験の一つです。

    私は言語学者たちが、言語の役割としてコミュニケーションだけに注目するのは間違いだと思っていますが、田方さんのアプローチは言語の具体的な仕組みを理解した上での話だと思うので、今後の成果が期待できると思います。

    • 田方 篤志 田方 篤志 より:

      佐藤様

      お返事、ありがとうございます。
      学会の言語学は嘘ばかりって、面白いですねぇ。
      しかも29歳!
      僕も似たように感じてて、僕も、本当は大学で学びたかったんですけど、僕の知りたいことを教えてくれる先生がどこにもいなくて、自分で考えて作ることにしたわけです。

      123人称、その通りだと思います。
      僕の考えは、頭の中にリッチな世界があって、それを表現する言語空間はプアなわけです。
      そのリッチな世界は、インタラクティブなコンピュータなら再現できそうで、それを作ろうとしてます。
      それさえできれば、言語空間に落とし込むのは、そんなに難しくないと思ってます。
      チョムスキーの普遍言語は、リッチな世界をプアな言語空間で作ろうとしたから失敗したと思ってます。

      ヒトの頭の中の世界に123人称が内在されてるから、どの言語にも123人称が存在するわけで、その頭の中の世界をコンピュータで再現しようとしてます。
      たぶん、サルの頭の中は、そうはなってないんだろうと思ってます。
      ヒトとサルの頭の中の違いを知りたかったんですけど、そんなこと、誰も知らないのは当たり前といえば当たり前ですよね。

  4. アバター 佐藤直幹 より:

    田方様

    言語学の嘘を見つけてしまうと、そこにはいられなくなります。誰とも話が出来ないのは結構つらいです。それでブログ「言語学の嘘」を始めて現在に至ります。自分の頭で考えるたびに、主流の言語学との乖離がより激しくなっていきましたが、これは仕方がないですね。

    私に大きな転機を与えてくれたのは手話との出会いでした。音声一辺倒の言語学に疑問を感じていたのですが、視覚と聴覚の両方に通用する全く新しい記号学を目指しています。

    ヒトとサルの頭の中の違いですが、田方さんは、今はもうかなりのレベルで理解なさっていると思います。特に「記憶へのアクセス(記憶喚起)」に注目している点は私も同じです。ただ私は、今後、「意識」の解明をするためには「記憶」自体のメカニズムや定義自体を再考する必要があると思っています。

    京都大学の霊長類研究所の松沢哲郎先生が、「直観像記憶と言語のトレードオフ仮説(知性のトレードオフ仮説)」を立ててらっしゃいます。言語と記憶の関係に注目している数少ないアプローチの一つだと思います。リンクを張っておきます。

    https://langint.pri.kyoto-u.ac.jp/ai/ja/k/074.html

    私は、二十年位前にパリで偶然、先生の講義を受けることができ、野生チンパンジーに関していろんなことを学ぶ機会がありました。特に「大きな石の上に固いナッツを置き、手に持った別の小さな石でナッツを砕いて中身を食べる」という野生チンパンジーの行動観察は興味深いです。

    欧米の霊長類研究者たちが、親が子に「手取り足取り教えるだろう」と思うところ、先生は「すし職人」の例を出してきて、チンパンジーの子供は、親がしていることを見様見真似で覚えていくとおっしゃってました。ただ、子供の時期にこういう環境にいない子供は覚えません。ハンディキャップのある子供も覚えません。更に他の群れから来た大人のメスも覚えません。

    そして、このナッツ割の行動を「入れ子構造」と定義されてました。私が「言語の基本は入れ子構造」という発想に至ったのも、先生のおかげだと思います。

    田方さんの動画はまだ全部拝見してませんが、時間をみて全部視聴したいと思っています。それでは、また。

    • 田方 篤志 田方 篤志 より:

      佐藤様

      お返事ありがとうございます。
      チンパンジーの直観像記憶は面白いですね。サヴァン症候群の写真記憶に近いのかもしれません。
      「入れ子構造」は、「心の理論」につながるような気もします。
      言語を突き詰めていくと、どんどん、言語から離れていきますね。
      コンピュータの自然言語処理は、言語だけにとどまっているから上手くいかないと思っています。
      今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。

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