そもそも意識って何?人工知能で人工意識は作れるの??

そもそも意識って何?人工知能で人工意識は作れるの?

心を考える上で、意識について触れないわけにはいきません。
それでは、意識とは何なのでしょう?

動物には意識があるのでしょうか?

機械には意識はあるのでしょうか?

人工知能で人工意識は作れるのでしょうか?

これらの問題について、いくつか思考実験をしていきましょう。

 

まず、カエルについて考えてみます。
カエルは、目の前にハエを見つけると、舌を伸ばしてハエを捕らえて食べます。

 

 

黒っぽい虫が目の前でチョコチョコ動いていると、カエルはハエと認識し、ハエが止まった瞬間にベローンと舌を伸ばして食べます。
カエルは、お腹がすいていれば、こうやってハエを捕まえて食べて生きています。

さて、それでは、カエルは意識を持って生きているのでしょうか?

カエルは、外界の状況に応じて、巧みに行動しています。
これは意識といえるのでしょうか?

 

もう少し別の例を考えて見ましょう。

次は、僕が昔作ったマイコン・ロボットについて考えてみます。
ロボットといっても、人型のロボットでなくて、自動車型でマイコン制御で動くライントレーサーです。

ライントレーサーというのは、地面に描いたラインに沿って走行するロボットです。
4個の発光ダイオードと、その受信素子を持っていて、それらでラインの位置を検出し、ラインからずれると左右の車輪の速度を調整して、常に、車体の中央にラインが来るようにマイコンで制御して走行します。

 

 

このマイコン・ロボットは、ラインに沿って走ろうと行動しています。
このロボットも、外界の状況に応じて行動しています。
簡単な知能があるとも言えます。
これも意識があるといえるのでしょうか?

 

つぎは、人間の場合について考えて見ます。

自転車に乗る場合を考えてみましょう。
子供の頃を思い出してください。
最初はうまく乗れなくて、自転車を漕ぐとき、バランスを崩して倒れそうになったり、カーブをうまく曲がれなかったりします。

 

 

体を傾けすぎてはいけないとか、ハンドルを切らないといけないとか考えながら運転しますが、なかなかうまく乗りこなせません。
それでも、練習しているうちに、だんだんと乗りこなせるようになります。

スイスイ乗れるようになると、頭で考えることなく、自然とバランスを取ることができます。
こけそうになると、とっさに体を逆方向に傾けたり、ハンドルを切ったりして立て直すことができます。

 

さて、ここで注目して欲しいのは、このような動きは無意識で行っているということです。

意識せずに、自然と体を傾けたりしてバランスを取っているのです。
無意識で行っているということは、意識がない状態で行動しているということです。

自転車に乗っていて、こけそうになるといった外界の状況に応答して、体を逆方向に傾けてバランスを取る。
これは、さきほどのカエルやライントレーサーのロボットと同じで、外界の状況に応じて反応しているだけです。
このような場合は、意識がないと言えます。

とういことは、カエルやライントレーサーには意識がないと言えます。

 

それでは、意識があるとはどういう状況でしょうか?

たとえば、ここにリンゴがあるとします。
そのリンゴを見て、今食べようか、それとも3時のおやつに食べようか、夕食後に食べようかと考えたりします。
こうやって考えているときは、明らかに、意識がありますよね。

 

 

それでは、先ほどの無意識と、今回の意識とでは、何が違うのでしょうか?

それは、外界と直結しているかいないかです。
外界と直結しているとは、外界の状況に直接応答して行動するということです。

外界の状況は、目で見たり、センサーで検知してモニタリングします。
そして、所定の状況が発生したら、すぐさま、それに応じた行動をとります。
その間に考えたり、迷ったりしません。

無意識の活動は、外界からの入力に連動し、身体の行動の形で出力しているわけです。
これが、無意識は外界と直結しているという意味です。

 

 

一方、意識は、リンゴを今食べようか、後から食べようかと考えることにあります。
頭の中で考えることが意識です。

目で見て、リンゴを認識して考えますが、食べるという行動が起こる場合もありますが、考えるだけで、行動しない場合もあり得ます。
行動に直結していないと言えます。

リンゴを認識する場合、リンゴが目の前になくても、リンゴを思い浮かべて考えることもできます。
つまり、意識は、外の世界と切り離されて、頭の中だけで活動することが可能なのです。

 

意識と無意識の違いがなんとなく分かってきましたね。
つぎは、意識と無意識の決定的な違いがわかる例を見ていきましょう。
それは、「盲視」という脳の機能障害です。

 

盲視

盲視とは、脳内の視覚情報処理の一部が損傷した場合に起こる症例です。
網膜など視覚情報を受け取る部位は損傷していないのですが、その後の視覚処理経路で一部の経路(腹側視覚路)が遮断されているため、非常に興味深い症例が生じます。

盲視の患者は、全く目が見えないと言います。
スクリーンに光点を表示させて、「どこに光点があるか分かりますか?」と聞いても、当然、「全く分からない」と答えます。
「光点を指で指し示して欲しい」といっても、「そんなことできない」と言います。
そこで、「でたらめでもいいから、適当に指で指し示してほしい」と言って指し示してもらうと、驚いたことに、すべて正確に指し示すことができるのです。しかも、本人は、当たっているという自覚はなく、「単に、でたらめに指で指し示しているだけだ」と言うのです。
これが盲視なのです。

 

盲視では、本人が見ているという意識はなくとも、見ている物に対して、運動としては正確に対処することができるのです。
見えないといいながら、指で指し示したり、飛んできたボールを避けたりできるのです。

 

 

このことから、視覚には、二つあると言えます。

一つは、見えていると意識して見ること。
もう一つは、見たものに対して身体動作で対処するというもの。
そして、こちらは無意識での視覚と言えます。

無意識の視覚は、自転車に乗っているとき、自然とバランスを取っているときと同じで、意識しなくとも、体が勝手に反応しているのと同じです。
カエルがハエの動きに反応してハエを捕らえたり、ライントレーサーが、センサーに反応してタイヤの速度を調整するのも同じですね。

意識的な視覚とは、「これはリンゴです」とか「これはボールです」と言ったように、何を見ているのか本人が意識で自覚できています。
リンゴだと頭の中で認識できているので、今食べようか、後から食べようかと考えることができるのです。

 

脳の視覚処理経路の腹側視覚路が損傷することで、視覚による意識が生じないことが分かりました。

このことは何を意味しているのでしょう?

まず言えるのは、意識とは、脳内で処理される機能の一つで、それは、意識せずに行う身体動作とは別の所で処理されているということです。

そして、無意識で行われる外界に応じた動作は、人間以外の動物も持つ機能と言えます。
しかし、見ている」という意識感覚は、人間のみが持つ機能と言えそうです。

 

目の前の景色を見ているという感覚、
周りにビルや家が見えて、自動車が走っていて、そんな世界の中に自分がいるという感じ。

こういった風に世界が見えたり感じたりするのは、意識が作り出しているものです。

同じものを見ても、意識のある人間と、意識のないカエルとでは全然違う世界を見ています。
いえ、そもそも、カエルは世界を見ているわけではありません。
外界の状況に単に反応しているだけです。
それは、僕たちが言う「見る」とは全然違うのです。

 

次回「主観と客観」では、これまでの意識の考察から心の仕組みについてまとめてみます。