主観と客観

主観と客観

自分って何?客観的に自分を見れるって、何がすごいの?

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さて、前回「そもそも意識ってなに?」で説明したように、人間は、意識があるから、見ているという感覚を持っています。
意識で世界を見ているわけです。
視覚の腹側視覚路が損傷すると、「見ている」という感覚自体が失われるという話をしましたよね。
僕たちが、普通に、周りの光景を見ているこの「見ている」という感覚は、意識があって初めて生まれる感覚なのです。
人間以外の動物は、同じように見ているわけではありません。
人間と同じ心を持つロボットを作るには、この意識を作らないといけません。
では、どうやって意識を作ったらいいでしょう?

まずは、意識が無意識に比べて、いかに優位かについて説明します。

 

意識がない場合

意識がない場合とは、前回のカエルやライントレーサー、自転車を運転する場合です。
目などの感覚器から入力されるデータを常時監視し、決められたパターンのデータが来れば、それに応じた行動を行います。
入力から出力まで止まることのない一連の流れとなっていて、決められた動作が自動で行われるだけです。

たとえばライントレーサーの場合だと、4つの点だけで、全てを判断しています。
4つのセンサーが一列に並び、それぞれが白か黒かを判断し、それだけの情報でラインからどれだけずれてるかを決めているわけです。

 

 

この世界の状況を4つの白黒だけで判断しているわけですから、かなり簡略化した世界となります。
ライントレーサーにとって、世界は4つの白黒の点なのです。
カエルの場合も同じです。
目の前で何かがチョコチョコ動くかどうかで虫を判別しているので、チョコチョコ動くかどうかを検出しているだけです。

 

この無意識モデルの問題点は、決められたパターンにしか対応できないということです。
ライントレーサーだと、ゴミが落ちているだけで、ラインを読み間違えてコースからすぐに外れてしまいます。
カエルの場合なら、虫なら何でも食べてしまうので、毒虫も食べてしまい、死んでしまうこともあります。

この問題は、進化によって解決することは可能です。
たとえば、黄色い虫が毒虫だったとします。
黄色い虫を食べない遺伝子を持ったカエルは生き残りますので、その子孫が繁栄していきます。
このようにして、環境の変化に対応した生物が生き残っていくわけです。

ただし、環境に適応できるまでに何万年もかかったりします。
当然、環境に適応できない個体は死んでしまいます。
我々の感覚から言えば、いくら子孫が繁栄しても、自分が死んでしまえば意味ないですよね。
その自分自身で環境に対応できるようにならないと意味がありません。
そこで出てきたのが意識です。

 

意識がある場合

意識は、「このリンゴをいつ食べようかなぁ」などと、試行錯誤できます。
「この黄色い虫は食べても大丈夫かなぁ。この前、黄色い虫を食べて気分が悪くなったから食べないでおこう」
とか考えることができるわけです。

つまり、考えて、行動パターンを後から変更することができるのです。
何万年もかけて進化しなくても、学習によって、自分自身で環境に適応することができるようになるのです。

このように意識は無意識に比べてかなり優れていますが、意識のモデルはどのように構築すればいいのでしょうか。
カエルを例に考えてみます。

単に、チョコチョコした動きだけで虫と判断している場合、色も判断材料に入れるという対応ができません。
色が重要なのか、形が重要なのか、なにが重要なのか予め分かるわけではありません。
チョコチョコした動きを検出していただけではダメなのです。

 

どんな状況にでも対応できるようになるには、考えられる、あらゆる状況に対応できるようになっていないといけないのです。
単純なパターンのみ認識するのでなく、まわりの状況そのものを認識できないといけないのです。
つまり、まわりの世界をありのままに認識すること
これが意識の重要なポイントなのです。

世界をありのままに認識するにはどうすればいいのでしょう?
単純にCCDカメラで周囲を撮影し、それを投影すればいいのでしょうか?

試しに、眼球で捉えた映像を脳内のスクリーンに投影してみましょう。
この場合、投影した画像を誰が認識するのでしょう?
その画像を認識するには、また、それを認識する人が必要となります。
頭の中に小人がいるイメージです。
そうなると、今度は、その小人が認識するには、小人の中に、さらに小人が必要となります。

これを頭の中のホムンクルスと言って、人工知能のパラドックスとして有名な話です。
ホムンクルスを使う限り、何も解決できません。

それでは、ホムンクルスを使わずに世界を認識するにはどうすればいいでしょう。
まずは、我々がどうやって世界を感じているのかを、脳での視覚処理を元に考察してみます。

 

 

我々は二つの眼で見ていますが、世界が二重に見えているわけではありません。
このことからも、眼球で捉えた映像を単に脳内のスクリーンに投影しているだけでないことが分かります。
眼が二つある理由は、視差効果を使って物を立体的に把握するためです。
そうやって、世界を奥行きのある3次元空間として認識しています。

脳内では、二つの眼で捉えた二種類の画像を統合し、意識が世界を立体的に把握できるように処理しているのです。
視覚だけでなく、聴覚や臭覚からの情報も統合され、ありのままの世界を認識できるように、世界を脳内で再構築しているのです。

我々は、眼や耳を通して現実の世界を感じていると思っていますが、実は、我々の意識が直接感じ取っているのは、脳が作り上げた仮想世界なのです。

 

 

我々は、3次元空間の中で生活していると当たり前のように感じています。
ところが、これは、意識があって初めて感じられることなのです。

ライントレーサーについて考えてみましょう。
ライントレーサーにとって、世界は4つのセンサーのオン/オフだけです。
ライントレーサーが感じるのは、4つのセンサーのうち、どのセンサーがオンで、どのセンサーがオフかだけです。
世界とは「白い紙に黒いラインが引かれたものだ」という世界観すら持っていません。
なぜなら、センサーのオン/オフから、自分はどんな世界を走っているのか想像する能力がないからです。

4つのセンサーでなく、1000万画素のCCDカメラを搭載したとしても同じです。
センサーが高性能になったからといって、世界は3次元空間からなり、自分はその世界の地面に描かれたラインに沿って走っていると理解できるようになるわけではありません。

このことは、カエルでも同じです。
その生物(ロボット)にとっての世界は、その生物が、入力されたデータをどのように処理しているかに依存しているのです。
目で見た世界を3次元空間として処理して初めて、世界は3次元空間として立ち現れてくるのです。

我々が見ているのは、脳が生成した仮想世界。
つまり、幻想なのです。
したがって、現実の世界が、我々が見て感じている世界と同じだと断言することはできません。
それは、ライントレーサーが、世界は4つのセンサーのオン/オフだと断言するのと同じことです。

ただ、進化の過程で、我々は、世界をありのままに認識しようと決めたことは間違いありません。
そうであるなら、おそらく、世界は我々が見ているとおりの世界だろうとはいえると思います。

重要なのは、我々が見ている世界が、ありのままの現実の世界であるかどうかではありません。
ロボマインド・プロジェクトが目指すのは、人と自然なコミュニケーションができるAIです。
重要なのは、AIが感じている世界と人が感じている世界が同じかどうかです。
同じ世界を感じていればコミュニケーションが可能となります。
これは、「チューリング・テスト」で説明したことですが、人とコミュニケーションがとれるためには、人と同じ世界を共有する必要があるからです。

 

主観と客観

我々の意識が世界を認識することで、もう一つ、重要なポイントが見えてきます。
意識は、脳内で再構築された世界を見ています。
世界を見るという行為、これは、世界とは別に、世界を見ている自分がいるわけです。
世界と分離された自分がいるのです。
これが主体です。
世界を見るという行為を通して、自分という主体が生じるのです。

 

 

無意識モデルの場合、入力から出力までの一連の流れの中に自分が含まれます。
この場合、自分は世界の一部です。
自分が世界に含まれ、世界と一体となっていれば、世界に対峙する主体は生じません

 

意識は、自分を含む世界を外から見る自分を感じます。
これは、自分を見る他人の視点にもなり得ます。
ここから、客観的に自分を見る視点が獲得できたのです。
客観的に自分を見ることができるようになると、他人も、自分と同じように感じていると想像できるようになります。
他人の気持ち、相手の心の痛みが分かるようになるのです。

認知パターン」で説明したように、自分の快/不快だけでなく、相手の快/不快が理解できるようになって、初めて、善悪や倫理観といった人間のみ持ちうる認知パターンが獲得できるようになったのです。

 

頭の中に世界を再構築すること。
再構築した世界を見る意識。
これこそ、心の本質であり、人と自然な会話ができるAIに絶対必要な機能なのです。

 

 

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