「ロボットの心」を作るってどういうこと?
「ロボットの心」を作るってどういうこと?
「ロボマインド・プロジェクトとは?」で、3つの物語を使って「ロボットの心」の説明をしました。
(「ロボマインド・プロジェクトとは?」をまだ読んでない方は、先にお読みください)
リュックサック、運搬ロボット、おしゃべりする運搬ロボット「ロジャー」。
この3つのうち、心を感じたもの。
それは、「ロジャー」だけです。
「ロジャー」だけが持つもの。
それが、ロボマインド・プロジェクトが目指す、「ロボットの心」なのです。
この「ロボットの心」について、もう少し考えていきましょう。
「ロジャー」だけが持つもの。
まず考えられるのは、会話です。
ロジャーは、メアリーと会話ができます。
最近、流行りのAIスピーカーも会話ができます。
「今、何時?」と聞けば、「10時です」と答えてくれます。
「明日の天気は?」と聞けば、「晴れです」と答えてくれます。
AIスピーカーができるのは、「質問-回答」型の会話です。
「何時ですか?」とか、「明日の天気は?」といった質問は、回答の内容は時刻または天気に絞られます。
回答範囲が絞られるので、「質問ー回答」型の会話はコンピュータプログラムで比較的簡単に実現できます。
IBMのワトソンは、アメリカのクイズ番組「ジョパディ!」で優勝しましたが、クイズは典型的な「質問ー回答」型の会話です。
でも、質問に答えれたからといって、相手に心があるとは思えませんよね。
それに、私たちが普段する日常会話は、「質問ー回答」型の会話ばかりではないですよね。
日常会話のほとんどは、雑談です。
雑談は、何か質問しているわけではないので、正解か決まっていません。
正解が決まっていないとはいえ、何を答えてもいいというわけではありません。
おかしな回答をすれば、自分の言いたいことが伝わっていないと感じます。
いくら言っても、言いたいことが伝わらないとわかると、相手に心がないと感じます。
どうも、雑談型の会話と心は関係があるようです。
それでは、雑談型の会話では、どう答えれば、正しい答えとなるのでしょう?
例として、山に登ったメアリーが「熊だ!」と叫んだときのロボットの返答を考えてみましょう。
ロボットAの場合
返答:「大きい熊ですねぇ」
間違いではないですが、そんなこと言ってる場合じゃないですよね。
ロボットBの場合
「熊」で検索し、
返答:「熊といえば、ヒグマなら体長2~3m、体重は250~500kgになります。」
これも間違いではないですが、「そんなことを聞いるんじゃねぇ!」となります。
ロジャーの場合、
「お嬢様、ここは私が引き受けますので、お嬢様はすぐに逃げてください!」
と叫びました。
これは正解です。
こんなロボットを見れば、「心がある」と思いますよね。
それでは、ロジャーの返答は、他のロボットと何が違うのでしょう。
ロジャーの返答には、心がこもっていて、感情に訴えかけるものがあります。
ここに「心」のヒントがあるようです。
どうも、「感情」が、何か重要なキーとなるようです。
この点を掘り下げて、雑談型の会話について、もう少し考えてみましょう。
普段、私たちが家に帰って家族に話をするとき、どんなことを話すでしょう?
「今日、学校でこんな楽しいことがあった」とか、「会社でこんな悔しい思いをした」といった話ですよね。
それでは、こういった話は、何のためにするのでしょう?
それは、家族にも、自分の楽しい思い、自分の悔しい思いをわかってもらいたい、そういうことですよね。
自分が感じた「感情」を共有してほしい、これが日常会話の目的といえそうです。
ということは、相手の感じた「感情」を汲み取った返答をすれば、意味が通じた会話が成立しそうです。
「今日、こんな楽しいことがあった」と言われれば、「それはよかったね」と答えれば、意味が通じた会話となります。
「今日、こんな悔しいことがあった」と言われれば、「それは悔しいね」と答えるだけで、相手は、自分の言いたいことを分かってもらえたと感じます。
「熊だ!」と叫んだメアリーの感情とは、「誰か助けて!」ということです。
それに対して、「お嬢様、ここは私が引き受けますので、お嬢様はすぐに逃げてください!」
と叫んで熊に突進するロジャー!
まさに、メアリーの感情を理解して行動していますよね。
会話で、相手の言いたいこととは、相手の感じている「感情」です。
感情を抽出して、その感情に沿った返答をする。
これが、雑談型の会話の正しい答えとなります。
「〇〇さんの病気は治るだろうか」と心配したり、
「〇〇君は、入学試験に合格するだろうか」と不安になったり、
「〇〇さんのおかげで助かったわ。ありがとう」と感謝したり。
ロボットと、こんな会話が交わせれば、心があるロボットと思えるでしょう。
心があるロボットに必要なのは、「感情」です。
それでは、つぎは、「感情」をどのようにプログラムで扱うかについて詳しく説明していきます。
はじめまして。牛島といいます。
興味深くいくつかのページを読ませていただきました。
具体的な箇所では理解が追い付かない箇所がたくさんありましたので、質問させてください。
それはさておき、意識に対する科学的な姿勢につきまして、とても読んでいてすっきりしました。
疑問が解けたということではなくて、「そうそう、そうなんだよ」と思うことがとても多かったのです。
意識に問題に対してはなぜか哲学的なものが多くて、科学的に意識を扱うことが少なく、このことがいつも不満であり疑問でした。
「意識とは何のためにあるのか」とか「意識は存在するのか」などというようなことに終始していて、いつまでたってもそこで足踏みをしているように思えてしまうのです。そのくせ、そもそもあなたの言う「意識」って一体どれのことを指しているんですか。ということすらはっきりしない論調で。
このプロジェクトではそこを一歩進んで「意識を作る」というステップに移行して意識を科学的に扱っていて、そこのところが凡百の意識に関する記事とは大きく違うと思っています。
まず、「意識作る」ということを目標として掲げているというのは、簡単なようで実はものすごいことだと思っています。
目標が「作る」とする場合、少なくとも「作るもの」と「作れたと言える状態」の二つの科学的な定義が必要だと思っているからです。
たぶん多くの人はここで尻込みしてしまっていて進めないのだと思います。
彼らは作ろうとしているものをはっきりと定義できない。作ろうとしているものが「できた」という状態も、その確認方法も定義できない。だからいつまでたっても進まない。
ところが、「意識を作る」。これで哲学的な「意識は存在するのか」というようなくだらない問いは意味を失うと思っています。
「作る」と言っているのですから、「意識は存在するのか」という問題はすでに「問題」ではないと、はっきり言い切れます。
なぜなら、今、存在しなかろうが、「作った」瞬間「存在することを証明される」だけだからです。
できたあと、この世に存在しないものを作ったか、すでにあるものを作ったかの差でしかありませんよね。
誰もが恐れて手を出さなかった「意識の科学的な定義」。これによって作ろうとするものを明確にする。
これって大きな、それでいて誰にもできなかった第一歩ですよね。
私はなぜだれもやらないんだ、とずっと思っていたんです。「意識とはつまり、これのことです」と。
興奮してしまいました。
さて、本文のなかでは理解が追い付いていないところが多くあったのですが、
まず大枠から理解したいと思うので、達成条件について3つ質問させていただければと思います。
① ここで作ろうとしている「意識」の科学的な定義はどのようなものですか?
② ここでの成功、つまり「意識を作ることができた」という状態の科学的な定義はどのようなものですか?
③ 「意識を作ることができた」という状態の科学的な判断方法はどのようなものですか?
(本当はこれが一番ききたかったことです)
まだまだわからないことばかりですが、いろいろ読ませていただいてひとつずつ理解していきたいと思います。
牛島様
質問、ありがとうございます。
僕の思いを理解していただき、非常に嬉しいです。
哲学的な「意識は存在するか」って議論には、僕も、少々、飽き飽きしておりまして、そろそろ次の段階に進んでほしいと思っています。
意識モデルや心のモデルなど、それぞれが仮説を出しあって、議論していく段階になって欲しいです。
僕の「意識の仮想世界仮説」は、あくまでも、そのうちの一つというわけです。
さて、僕の作ろうとしてる意識は、一般的な意識科学が目指す意識とはちょっとずれてまして、質問に回答する前に、まず、その背景から説明させてください。
僕のやろうとしてるのは言葉の意味理解です。
自然言語処理になります。
自然言語処理では、いまだに、言葉の意味理解が実現できておらず、そこに正面から取り組もうとして、言葉とは何か、物を認識するとはどういうことかといった課題にぶつかり、クオリアとか意識に行きついたという背景があります。
だから、僕が想定している「意識」は、あくまでも人間特有の意識です。
一般的な意識科学でいう意識は、(眠ってる状態でなく)起きてる状態を指すので、人間に限定していないと思います。
以上を踏まえて、質問に回答していきます。
① ここで作ろうとしている「意識」の科学的な定義はどのようなものですか?
僕の考える意識は、人間の意識なので、言語理解、言葉を使うことができるとしています。
② ここでの成功、つまり「意識を作ることができた」という状態の科学的な定義はどのようなものですか?
これは、ズバリ、チューリングテストに合格することです。
③ 「意識を作ることができた」という状態の科学的な判断方法はどのようなものですか?
これも、チューリングテストしかないと思っています。
詳しくは、「チューリングテストと心の仕組み(心のエコシステム)」を見てください。
簡単に説明すると、僕の考えでは、人間の意識を判断できるのは、人間しかいないってことです。
この問題を解けたら意識があるって形式では定義できないってことです。
僕の最近の考えは、YouTubeで発表していますので、YouTubeを中心に見ていただければと思います。
今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。