「教科書が読めない子どもたち」という勘違いと、新井紀子教授のリーディングテストで日本は沈没する。
「東ロボくん」の目的は、AIにはどこまでできて、どうしてもできないことは何かを解明することでした。
そのためには、AIにできる能力を網羅的に調べないといけません。
新井教授は、能力を網羅的に調べるには、大学の入試問題が最適だと考えたようです。
大学で最も難しいのは東京大学です。
そこで、AIで東大合格を目指せば、AIに何ができて、何ができないか解明できると考えたようです。
こうして始まったのが「東ロボくん」プロジェクトです。
東ロボくんプロジェクトで、どうしてもAIにできなかったのが文章の意味理解でした。
そこから、
AI時代に生き残る人材とは、文章を理解できる人材だ
そう結論付けました。
そこで、今度は文章の読解能力を測定するテストを開発し、子どもたちの読解能力値を測定したそうです。
すると、驚くほど、読解能力がない子どもが多かったそうです。
このテストですが、偏差値の高い大学の学生ほど、読解能力値が高いことから、人の能力を客観的に測定するテストとして、かなり自信を持っているようです。
さらに、読解能力値の高い子は
教科書や問題集を「読めばわかる」ので、1年間受験勉強に勤しめば、旧帝大クラスに入学できてしまうのです。
東大に入れる読解力が12歳の段階で身についているから、東大に入れる可能性が他の生徒より圧倒的に高いのです。(p.221)
とも述べています。
偏差値の高い大学に入ることこそが、最も重要なことだと、何の疑いも持っていないようです。
だから、読解能力値の低い子は、早急に手を打たなければならないと警鐘を鳴らしています。
そして、全国の学校でこのテストを実施してもらい、早い段階で、読解能力値の低い子供を見極める活動を行っているとのことです。
さて、新井教授のやっていることは、本当に正しい教育なのでしょうか?
先日、Appleの「Think different.」キャンペーンから20年経ったというあるブログを読みました。
「Think different.」のCMはこちらです。先にこちらをご覧ください。
このブログには、このCMを見た10歳の男の子のお父さんからの手紙が載っています。
息子は少し変わった男の子で、学校でいじめられ、のけものにされていました。
自殺をほのめかせて校長先生から連絡が入ったりしたこともありました。
ある日、その子が、私にテレビで流れるThink different.のCMを一緒に見てほしいと言うのです。
CMが始まって口を挟もうとすると「お父さん、黙って最後まで見て!」と強い口調で言います。
やがてCMが終わると彼は言いました。
「自分は変わり者だとバカにされて、のけものにされてきたけれど、僕は変わりもののままで居ていいんだね!」と。
人には個性があります。
個性を無視し、文章が読めない子をあぶりだし、文章が読めるように矯正することが本当に正しい教育なのでしょうか?
人間にしかできない仕事、AIに奪われない仕事として、文章を理解する仕事だという考えは、かなり特殊な意見です。
一般には、クリエイティブな仕事こそ、AIにできない仕事と言われています。
新井教授も、AIで自動作曲された曲は、「長く聞くには堪え」ない。
AIで描かれたゴッホ風の絵も、「全体を見ると無茶苦茶」(p.136)
と述べており、クリエイティブな仕事こそ、AIは苦手だと述べています。
今、日本が世界をリードできるのは、マンガ、アニメ、ゲームなどのコンテンツ産業です。
これこそ、AIに奪われないクリエイティブな仕事です。
AIに奪われない仕事は他にも、あります。
音楽、デザイン、お笑いや演劇、アパレルといった様々なクリエイティブな仕事。
料理人や美容師、大工などの手仕事も、定型的な部分はAIでもできるようになりますが、クリエイティブな部分は人間しかできないでしょう。
どんな子も、持って生まれた才能があるはずです。
もし、すぐに見つからなかったとしても、ちょっと、考えてみてください。
その子が、生き生きとするのは、何をしているときでしょう。
その子が、その子らしい表情をみせる瞬間とは、どんなときでしょう。
そこにこそ、その子が発揮できる才能があるのです。
その子の個性を無視して、読解能力値だけでその子を判断する。
読解能力値の低い子は、そのままでは将来仕事につけなくなるからと、読解能力を高める教育を強制する。
そんな教育をしていては、本来、その子が輝かせるべき才能を潰してしまいます。
そんな教育、ちょっとおかしいですよね。
なぜ、このようなおかしな結論にいたったのでしょう?
根本的な問題は、人間の知能が入試問題で、ほぼ網羅できると考えたことにあります。
ところが、入試問題では、クリエイティブな能力など判断できません。
クリエイティブな能力こそ、AIが最も苦手で、AIに奪われない仕事なのに。
さて、新井紀子教授自身はどうなのでしょう?
前回詳しく説明したように、AIで国語の入試問題を解くのに、従来の自然言語処理の方法を全て調べたうえで、早々と、正攻法で解くことをあきらめ、文字の重複から選択肢を選ぶといった、お粗末な手法しか提案できていません。
読解能力値が高いので、今までの自然言語処理の論文を読み、理解することはできるようです。
そして、それを組み合わせたり、入試問題に適用したりすることもできるようです。
ですが、そこまでが限界だったようです。
全く新しいアイデアを提案することはありませんでした。
読解能力値が高いだけでは、新しいものを生み出すことはできません。
新しいものを生み出すには、読解能力値とは全く異なる、クリエイティブな能力が必要なのです。
今までの手法で意味理解できないとわかった新井教授は、AIでは、文の意味理解は不可能だと降参しているのです。
AppleのThink different.キャンペーンを思い出してください。
不可能だと証明したことで、世界を変えた人はいたでしょうか?
世界を変えた人は、不可能と言われたことを成し遂げた人たちです。
これからの世界に必要なのは、読解能力値が高い人でなく、クリエイティブな能力を持つ人なのです。
それなのに、なぜ、新井教授は、読解能力値にしか目が向かないのでしょう?
その原因は、人間の能力を判断するのに、入試を設定したことにあります。
入試問題こそが、人の能力全体の枠組みを網羅していると思い込んだからです。
新井教授は、AIの弱点として、
決められた(限定された)フレーム(枠組み)の中でしか計算処理ができない(p171)
と述べています。
まさに、新井教授自身が、AIと同じ誤りを犯してしまっていたのです。
新井教授のもう一つの思い込みは、「AIは意味理解ができない」ということです。
次回は、本当に、AIは文の意味理解ができないのか?
この点について、検討していきます。
追記
この記事に対して、小学校の校長先生から感想をいただきました。
その返答として、もう少し僕が思っていることも記事にしましたので、こちらもお読みください。
「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」批評の感想をいただきました
YouTubeも併せてご覧ください。
あわせて読みたい