「太郎は花子が好きだ」をコンピュータに意味理解させました 「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」批評5

「太郎は花子が好きだ」をコンピュータに意味理解させました 「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」批評5

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「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」には、コンピュータで文の意味を理解できない例がいくつか挙げられていますので、まずは、それらを紹介します。

「私はあなたが好きだ」と「私はカレーが好きだ」との本質的な意味の違いも、数学で表現するには非常に高いハードルがあります。(p.119)

一部のAI研究者は、・・・ たとえば、「机の上にリンゴと鉛筆がある」という文に対して、実際に机の上にりんごと鉛筆がのっている画像を合成できたら、それはAIが文の意味を理解したことになると主張します。
本当にそうでしょうか?
では、「太郎は花子が好きだ」はどんな画像にするのでしょう。(p.137)

「太郎は花子が好きだ」という文は、まさにその通りの意味で、何か他のものに還元することはできません。
「花子は太郎に好かれている」と受け身に変換したり、「Taro loves Hanako」と英語に翻訳できたりしたからといって、意味を理解していることにはなりません。(p.138)

 

どれも、もっともな意見ですね。
それでは、「太郎は花子が好きだ」の意味理解に挑戦してみましょう。

 

前回、人は認知パターンに基づいて行動すると説明しました。
「太郎は花子が好きだ」の場合、「好き」という認知パターンが考えられます。
まずは、「好き」の認知パターンの意味を厳密に定義していきます。

「世界」には、「人」、「物」が存在し、「人」は「心」を持っています。
「心」は認知パターンを抽出すると、それに基づいて行動します。
これが、人の「心」の仕組みで、これと同じ仕組みのシステムを作れば、意味理解できるAIとなります。

認知パターンを構成する要素には、少なくとも「快」「不快」があります。
認知パターンに基づいて行動するとは、「不快を避け、快を求める」という行動のことです。

ボールの動きは、投げた時の力と、重力によって決まるように、人の行動を決めるのは、「不快を避け、快を求める」の原則です。
物理の力学と同様に、心の力学は、その人に作用する「快」と「不快」で決まるのです。
「快」「不快」はこれ以上還元できないもので、意味を構成する根源的な要素となります。

 

「好き」の意味は、日本語で記述されるわけではありません。
システムが理解するのは、システム内に構築された「世界」なので、意味は、「世界」を構成する要素で記述する必要があります。
「世界」を構成する要素とは、「世界」そのものである3次元空間と時間、「世界」に配置される「人」、「物」、そして、「快」、「不快」です。

それでは、「好き」の認知パターンの意味を定義していきましょう。
「好き」にも、様々な意味がありますが、一番広い意味として、

「主体」が、「対象」に近づくと「快」となる

というのが考えられるでしょう。

「主体」とは、「心」を持つ「人」のことで、「私はあなたが好きだ」の場合、「私」になります。
「対象」とは、「私はあなたが好きだ」の場合、「あなた」で、「私はカレーが好きだ」の場合、「カレー」です。

「好き」のさらに具体的な意味は、対象によって異なり、対象が人の場合、たとえば「抱きしめると『快』」などとなります。
対象が食べ物の場合、「食べると『快』」となります。

「近づく」とは、今より距離が近くなることです。「距離」は「世界」を構成する要素です。
「主体」は「人」で、対象となる「人」も「食べ物」も、いずれも「世界」に配置される物体です。
つまり、意味は、すべて世界を構成する要素によって記述されています。

さて、「『主体』が、『対象』に近づくと『快』」とは、好きが人に近づいてくれば嬉しいという意味です。
当たり前の感情ですよね。
逆に、嫌いなハゲ上司は、近づいてきただけで気分が悪くなります。まして、抱き付かれたら「ギャー!」と叫んで逃げだします。
行動予測ができるので、「好き」の意味が正しく定義できているといえます。

これで、「太郎は花子が好きだ」の意味が理解できました。
花子が遠くニューヨークにいるとすれば、太郎に対して「今すぐ、ニューヨークまで飛んで行って花子に会いたいよね」などと声をかけることもできます。
AIにこう言われたら、このAIは自分の気持ちを分かってくれていると太郎は思うでしょう。
明日の天気や、プロ野球速報ぐらいしか答えてくれないAIスピーカーでは、太郎の気持ちは理解できないのです。

 

「机の上にリンゴと鉛筆がある」の場合はどうでしょう。
「ある」とは「『世界』に存在する」と定義できます。
つまり、「机の上にリンゴと鉛筆がある」は、「世界」に「机」を配置し、その上に「リンゴ」と「鉛筆」を置くわけです。
「世界」を、3DCGで描画すれば、上下も定義できますので、「机の上」も定義できます。

「机の上にリンゴと鉛筆がある」の場合、認知パターンは抽出されませんので、それ以上の意味はありません。
つまり、「机の上にリンゴと鉛筆がある」は「文」ではありますが、何らかの言いたいことを含意した文ではありません。
友達に、「机の上にリンゴと鉛筆がある」とだけ言われても、「それがどうしたの?」としか答えようがありません。
これが、特に伝えたいことのない単なる文ということです。

 

以上が、コンピュータで文の意味を理解するということです。
「好き」の意味を理解するだけでも、最初に、3次元空間と時間を表現できる「世界」のモデルをシステム内に構築しなければなりません。
それができて初めて、「主体と対象の距離が近づくと、主体は快となる」と「好き」の意味を定義できます。

現在のAIブームの主流はディープラーニングを中心とした機械学習です。
大量のデータさえあれば、後は、AIが自動で学習してくれるというものです。
本書にも、機械翻訳するためには

「太郎は花子のことが好きだ。⇔Taro loves Hanako」のような対訳データが膨大に必要です。問題はその数です。100万組では焼き石に水で、1000万組ぐらい集まればだいぶましになりそうな気がします(p.148)

と述べられています。
まさに、現在のAIの状況を吐露した意見です。

1000万組集めれば機械翻訳の精度は上がるかもしれませんが、それで、「太郎は花子のことが好きだ」の意味を理解したことになるのでしょうか?
1億組をディープラーニングで学習させれば、「『主体』が、『対象』に近づくと『快』」といった意味を抽出できるようになっているでしょうか?

なりません。

なぜなら、学習させるのは、単なるテキストデータだからです。
テキストデータとは、「太郎は花子のことが好きだ」という文字列です。
この文字列からは、「3次元空間」や「快」「不快」といった概念は出てきません。
そもそも、3次元空間や、快とか不快の意味をシステムが理解していないことには、「好き」の意味を、これらの言葉で言い換えることなどできません。

 

コンピュータに意味を理解をさせるには、世界のモデルを作って、その中で、言葉の意味を一つ一つ定義していかなければなりません。
地道な作業です。

ですが、これをすれば、AIで文の意味が理解できるようになります。
現代のほとんどの仕事は、文書を読むことから始まります。
AIが文の意味を理解できるようになれば、人類は、かなり多くの仕事から解放されます。

AIは、文章を読んで決められた仕事はきちんとできますが、どれも同じです。
個性などありません。
やれと言われたことを黙々とやり続けるだけです。

そんな時代に、AIに代替されない人とは、やれと言われなくても好きだからする人。
何の役に立つかわからないけど、好きで好きでしょうがなくて、夢中になる物がある人。

役に立つものは、AIがやってくれます。
役に立つかどうかでしか行動できないと個性がなくなり、AIと同じになります。

そして、過去に誰かが作った物を組み合わせるだけじゃなく、全く新しいものを0から作り上げられる人。

どれもこれも、今の偏差値教育では全く評価されない人たちです。
読解能力といった指標だけを教育の指針とすることは、個性を奪い、子どもたち全員をAI化するようなものです。
AIに仕事を奪われる人とは、教科書だけ読めて、何の個性もなく、新しいものを作り出すことができない人たちなのです。

 

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“「太郎は花子が好きだ」をコンピュータに意味理解させました 「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」批評5” への4件のフィードバック

  1. 杉山義樹 より:

    田方様。 初めまして。 いつも楽しく読ませたいただいています。 

    私は静岡県富士市の東名富士クリニックで院長をしております、杉山と申します。 当院では透析医療にかかわるソフトを開発(関連業者から評価は高いのですが、販売にまでは至っておりません)し、クリニックのIT化を図ってきています。 良からずんばAI化(今のところAはanalogのAですが)もしたい等と妄想を抱いています。 

     私自身は独学で(個人的興味で)ロボット学や人工知能・意識などを勉強しておりますが、田方さんのロボマインドは非常に勉強になり、毎回楽しみにしております。  また、AIに対する学習方法を考えると、翻ってそこから人材教育も勉強に成りますので、スタッフ教育の勉強にもなります(本来は逆でしょうが)。

     何所からお話ししたらよいかわかりませんが、まずはご挨拶まで。

     「心」も持つロボット。完成を期待しております。 
     時々ド素人のコメントや質問などを書かせたいただきますが、よろしくお願いいたします。

    追記:AIまで行かないまでも「マニアル」によってですら、個性を無くしている昨今の若者の様な気がします。

    • 田方 篤志 田方 篤志 より:

      杉山様
      コメント、ありがとうございます。
      出張に出ていまして、返信が遅くなって申し訳ありません。

      僕のやってることは、AIの専門から大きく離れてまして、そんなに難しい話ではないと思うのですが、専門家からの評価は全くないものなので、病院の院長先生に読んでいただけるとは、かなり励みになります。
      コメントや質問は、大いに歓迎します。
      メールでも構いませんし、必要なら、お伺いして説明いたしますので。
      今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。

  2. 太郎 より:

    はじめまして。
    ブログ記事を興味深く一気に読んでしまいました。
    心を持ったロボットが実現に近づいているのではないかと興奮しております。

    少し前に読んだ本を思い出しました。
    「脳はなぜ「心」を作ったのか「私」の謎を解く受動意識仮説」という本ですが、心の謎は解明された・・・?と、興奮したものです。
    この本の著者の前野隆司先生も、心を持ったロボットは作れると言って、研究に取り組んでいたと思います。未読でしたらぜひ読んでみてください。

    これからもブログ楽しみにしています。

    • 田方 篤志 田方 篤志 より:

      コメントありがとうございます。

      「脳はなぜ「心」を作ったのか「私」の謎を解く受動意識仮説」という本ですが、心の謎は解明された・・・?と、興奮したものです。

      僕も、前野隆司先生のこの本は、ずいぶん前に読んで、かなり参考にさせていただきました。
      こういった意識の仮説を、いろんな人が提案して、それをコンピュータで実現していってほしいというのが僕の願いです。
      それぞれの意識仮説を実装したコンピュータ同士を競わせて、どっちがより意識らしいか競争できるようになれば、意識科学の分野が大きく発展すると思いますし。

      現在でも、チューリングテスト(ローブナー賞)などは行われていますが、中身は、どれも人工無能ばかりで、本気で意識を作ろうとしてる人は、ほとんどいません。
      ディープラーニング一辺倒の現在のAIブームからは意識が生まれる気配はありませんし。

      まずは、僕自身が、意識を実装したAIを世に出したいと思っています。

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