「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」批評の感想をいただきました

「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」批評の感想をいただきました

2018.05.03
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僕は、このブログでAI技術以外のことは書かないことにしていますが、「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」批評2では、つい、教育に関して書いてしまいました。
新井紀子教授の主張が、あまりにも一方的で、人間のほんの一面しか捉えていないからです。
すると、ある小学校の校長先生から、感想をいただきました。

本人の許可をいただきましたので、その内容を載せさせていただきます。

 

新井紀子「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」についての批評を拝読しました。
新井先生の御本が教育界に与えたインパクトは相当大きなものだと感じています。
特にアクティブラーニングを推奨していた方々の反論があっても良さそうなものですが、それがないのが気がかりでした。
しかし、それ以上に気がかりなのが、読解力の定義です。RSTに示された6つのテストパターンのみで偏差値として基礎読解力が評価されていいのかという問題です。
新井さんが今後「高校基礎力」テスト等にも関与されると聞いていますので余計に心配です。
そんな中で出会ったのが田方様のブログでした。ThinkDifferentのお話は身にしみました。
私は小さな小学校の校長をしておりますが、今年度の経営方針に「子供たちの創造性を高めるために、基礎的な学力保障をする。」を示しました。
これからの社会を生き抜くためには子供たちに創造性を培ってほしいと考えているからです。言い換えるなら「気付きと発見」を自らできる子にということです。
田方様のブログを拝読して、今何をすべきかが一層明確になった気がします。今後ともブログを拝読させてください。
感謝の気持ちを伝えたく突然メールしましたことをお許しください。

 

教育界にいる方からの生の感想をいただいて嬉しく、ブログでは、言い足りなかったこともありましたので、そのことを返信に書きました。
その返信も載せておきます。

 

感想、ありがとうございます。
僕は、学校教育にはずっとなじめずにいた側なので、新井紀子教授が推し進めようとする基礎読解力の話を読んだ時も、「また同じことを繰り返してる」と思うだけで、無視するつもりでした。

そのとき、たまたま読んだのが、Appleの「Think Different」キャンペーンの話でした。
僕と同じように学校教育になじめない子どもたちに思いをはせ、
「学校が教えることだけが全てじゃない」
「本当の世界は、もっともっと面白いんだよ」
そんなことを伝えないといけないと思い、あの記事を書きました。
なので、小学校の校長先生に伝わったのは、僕としても嬉しい限りです。

せっかくなので、もう少し、僕の感じているところを説明させてください。

「自分が何をやりたいのか、何をやるために生まれてきたのか」
そんなことを真剣に考えた時期がありました。
20代の終わり頃のことです。

その時思ったのが、子供のころ、とくに小学校の低学年までに感じていた感覚って重要だなぁということです。

人は成長するにつれて、好きなことが変わります。
音楽を聴くようになったり、映画を見たり、本を読んだり。
僕も、中学、高校時代はロックや小説に感化されましたし、大学時代は、哲学や現代思想にかぶれたりしました。
でもそれは、周りの影響だったり、他人の目や、異性を意識してたんですね。

そんな外野のことなど全く関係なく、「やりたいからやる」
ただそれだけの動機でやっていたのは、小学校低学年ぐらいまでだと思います。

僕には一つの原風景があります。

子どもの頃、一番の得意は工作でした。
工作だけは、誰にも負けない自信がありました。

どこかの催しで、子供向けの工作教室がありました。
たしか、小学1年ぐらいのときだったと思います。
そこで、割りばしを使ったゴム鉄砲を作りました。

僕は、何度も作ったことがあったので、こんなの簡単だと作り始めました。
そのとき、隣の1年か2年、学年が上のグループの話が聞こえました。
「何を作ってるの?」
「5連射できるゴム鉄砲や!」

「5連射なんて、年上のお兄ちゃんでも、そんなの作れるわけがない」
僕は、そう思って聞き流していました。
ところが、しばらくすると、隣のグループから歓声が上がりました。
「すごーい!」
「どうやって作ったの?」

僕も身を乗り出して見てみると、ゴム鉄砲を横につなげて、5連射できるゴム鉄砲が見事に完成していました。


「スゲー!」
「超、カッコイイ!」
僕の完敗です。

僕は、その5連射のゴム鉄砲に見とれながら、
「僕も、あのお兄ちゃんみたいになりたい!」
「みんながびっくりするような、超かっこいいもの作りたい!」
そう強く感じていました。

これが僕の原風景です。

なぜか、この時のことを、時々思い出します。
たぶん、僕の根っこにつながる記憶なんだと思います。

自分が、生き生きとしていたときのことを思い出すと、常に、何かかっこいいもの、面白いものを作ったり、作ろうとしていたときです。
こんなのできたらすごいぞって思いながら何か作っている時、その時が、一番ワクワクしています。

そして今は、「ロボットの心を作ろう!」と、ワクワクしながら毎日、開発を続けています。
すごいのを作って、みんなを驚かしてやろうと。

5連射のゴム鉄砲のような記憶は誰にでもあると思います。
自分だけのヒーロー、ヒロインに出会ったときのこと。

それは、絵の上手なお姉さんだったり、ギターをかっこよく弾くお兄さんだったりするかもしれません。
そんな自分だけのヒーロー、ヒロイン。

そういったことを思い出し、それと繋がる。
そういうことこそ、教育にとって一番大切じゃないかと思っています。

勉強だとか、読解力も重要です。
でも、それだけを取り出して教えるとか、AIに仕事を奪われないために読解力をつけるとか、それは、ちょっと違うんじゃないかなと。

ヒーロー、ヒロインになるためには、本を読んだり、勉強もしないといけない。
重要なのは、この順番です。自分の根っこにつながった教育。
一番重要なことを飛ばして、読解力だけを身につけさせても、個性のない人間を大量生産するだけです。

これじゃ、AIに仕事を奪われないための教育というより、AIのような人間を作る教育ですね。

 

 

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“「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」批評の感想をいただきました” への8件のフィードバック

  1. 松田欣也 より:

    入試問題の結果を基準に能力を判断することこそ、AI化的発想ではないでしょうか?
    入試の結果は、土台にあるあらゆる能力の位置断片に過ぎないことを自覚しておく必要があります。フランスのバカロレアでは、哲学の命題を文系理系を問わず、数時間かけて解きます。つまり、AI的思考の上位の能力を試していると言えます。
    勉学というプロセスは、今のような入試という結果だけではでは測りきれません。

    • 田方 篤志 田方 篤志 より:

      コメント、ありがとうございます。

      入試問題の結果を基準に能力を判断することこそ、AI化的発想ではないでしょうか?

      本当に、そう思います。
      言葉の意味理解すらできないAIに、入試問題だけは解けるロボットを作って、大学に合格させたとしても、大学の授業が理解できるどころか、普通の日常会話もできないので、何の役にも立たないことは最初からわかっていたことでした。
      このような意味不明なプロジェクトから無理やり作り出された成果が、「教科書さえ読めればAIに仕事を奪われない」という理屈でした。
      プロジェクトの目的から成果まで、一貫した哲学など何もなく、行き当たりばったりで進んでいます。
      こんなものに振り回される日本の教育には、ちょっと辟易しますね。

  2. 数学屋 より:

    新井市の書籍には「教科書さえ読めればAIに仕事を奪われない」とまで極端な主張は書かれていないと思われます。
    知性を段階的に論じる時に、「自然言語の意味理解」というものが「人間の」学習における「ボトルネック」になっているということを論じて強調しておられるだけです。

    傍から見ている限り、不毛な争いをしているように見えて仕方がありませんが、なぜ、AIを語る上で言語の理解が重要とされる意見が多く見られるのかという背景を述べてみます。

    これらの発想は、概ね認知科学と言語学に関連する、「人間と動物の比較」の研究結果から来ています。ある程度の知能を持った動物ならば広い意味での言語のようなものを獲得していると言えるのでしょうが、ノーム・チョムスキーの言うような意味での高度な言語を獲得しているのは人間だけでしょう。
    単純な記憶力だけなら、実際のところはチンパンジーやゴリラのほうが一般的な人間よりも遥かに上です。例えば視覚的情報を瞬時に記憶し、時系列で並べ、それらを順番通りに想起する能力などは実験でもチンパンジーのほうが人間よりも上だと実証されています。
    それは過酷な自然環境のなかで、状況を瞬時に把握し、身の危険を回避し、利益が競合する他者を出し抜き、生き抜いていかなければならない野生動物には必要な能力だからなのでしょう。
    ゴリラやチンパンジーにおいても、行為という「コト」の対象化(モノ化)に相当するメタ認知は相当程度に持っているとされています。
    したがって、「あるものをあるがままに」認知して、「モノマネをする」というような意味での「行為の学習」は可能であり、実際に彼らにおいても大人のマネをして子供が道具の扱いを学習することも知られています。
    しかし彼らには言語がありません。少なくとも人間のような高度な言語はありません。
    よって、「そこにないもの」に対して生理的欲求からくる反応を返すことはできますが、「ないもの」に対する深い考察をすることも記録をすることも仲間に伝達することも大きく制限されます。
    また、「ありえないこと」の様なものを認知することができません。
    これは自然言語の中に「否定」というものが含まれるからです。
    またそれらの組み合わせによって、「類別」の発想が生まれるからです。

    対する人間は、高度な言語を獲得したがゆえに、それらの野生のスーパー能力を代償として失ったとされています。
    個体としては、ゴリラやチンパンジーよりも力が弱く、反応も鈍く、瞬間記憶力のメモリーも心もとない人間が、なぜこれほど繁栄できているのか?
    その答えを高度な言語にもとめている発想は不自然なものではないと思われます。

    ゴリラやチンパンジーにもおそらく「こころ」はあるでしょう。
    しかし、それらは人間とは完全に一致しないものだと思われます。

    人間の「こころ」を論じる時に、やはり言語は避けては通れません。
    そして新井氏が危惧しているのは、知性における「言語の獲得」という段階は実際には思われていたより高度な知性の段階であって、「人間ですら手こずる」ようなものであるといっておられるのです。

    そしてその先にある議論は、現状はまだ困難ではあるが、将来AIが言語理解を獲得した先には、「一般的なニンゲン様よりも正確に言語を理解している」という状況が来ることを危惧しておられるわけです。
    赤ん坊が成長する過程において、単純な単語の羅列から自然言語の構造を制限的に構築・理解し、コミュニケーション能力を獲得するまでに数年から10年はかかるでしょう。
    人工知能が完全な言語能力を獲得した未来には、未発達な言語能力のニンゲンは「不完全」と切り捨てられるかもしれません。(正確なコミュニケーションができませんから。)

    自然言語の能力とは別に、職人的に高度な技術を獲得した人たちはたくさんおられます。
    しかし、彼らにとっても言語は重要です。
    物事の本質を正確にとらえ、結果に反映し、他者と正確に共有し、後世に残すことができる。
    これらのことは、人間が言語を獲得しているからに他ならず、チンパンジーにAI開発ができないということの理由でもあります。

    • 田方 篤志 田方 篤志 より:

      数学屋様

      丁寧なコメント、ありがとうございます。

      新井市の書籍には「教科書さえ読めればAIに仕事を奪われない」とまで極端な主張は書かれていないと思われます。
      知性を段階的に論じる時に、「自然言語の意味理解」というものが「人間の」学習における「ボトルネック」になっているということを論じて強調しておられるだけです。

      この記事を書いた一番の理由は、教育論といったものは一番ウケがよく、多くの人に読まれるからです。
      まずは、一般ウケする記事を読んでもらって、興味がわけば、本当に僕が伝えたい本質的な記事を読んでいただきたいというのが目的です。

      「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」批評シリーズで、僕が最も言いたいことは、新井教授は、コンピュータには意味理解は絶対に不可能だと言い切っていますが、それは間違いだということです。
      そのことを書いているのが
       
      そもそも、コンピュータが意味を理解するとは?
      コンピュータで文の意味を理解しよう
      「太郎は花子が好きだ」をコンピュータに意味理解させました
       
      の三つの記事です。

      傍から見ている限り、不毛な争いをしているように見えて仕方がありませんが、なぜ、AIを語る上で言語の理解が重要とされる意見が多く見られるのかという背景を述べてみます。

       
      「AIを語る上で言語の理解が重要」ということは、僕に限らず誰でも分っていることでして、今更、その背景を知りたいとは、たぶんそれほど多くの人は思っていないと思いますよ。
      知ってる難しいことを語りたいという気持ちはわかりますので、その気持ちは尊重したいと思います。

      それよりも、誰も知らないことを書いた僕の上記3つの記事を読んだ感想の方が聞きたいです。
      ここに書いていることは、誰々が既にここで全て述べてるとか、そんなことは理論上不可能だといった反論があれば、ぜひ、教えてください。
       

  3. 数学屋 より:

    >ここに書いていることは、誰々が既にここで全て述べてるとか、そんなことは理論上不可能だといった反論があれば、ぜひ、教えてください。
    なぜそんなに喧嘩腰なのかがよくわかりませんが?
    そもそも、こちらは「全て述べている」とか、「理論上不可能」だとかそんな主張をしていますかね?

    >今更、その背景を知りたいとは、たぶんそれほど多くの人は思っていないと思いますよ。
    別に難しいことを語りたいわけでもなく、単に関連する事実を語っているだけです。
    それすら意味がないとするのならフレームが狭いとしか言いようがありませんね。
    そういう独善的な決めつけこそが、視野狭窄なんですよ。

    だからこちらが書いていない主張を使って反論しようとする。

    残念ながらこれ以上のやり取りをするのはお互いに無駄でしょうからこの辺で失礼しますね。

    • 田方 篤志 田方 篤志 より:

      数学屋様

      コメント、ありがとうございます。

      別に難しいことを語りたいわけでもなく、単に関連する事実を語っているだけです。

      そうだったんですか。
      単に関連する事実を語りたかっただけだったんですね。
      ありがとうございます。
      それはそれで構わないのですが、関連する知ってることを語りあっても議論にならないと思いまして。
      このコメント欄は、議論を通じて理解を深める場にしたいと思っておる次第でして。
      ただ、掲示板のようにみんなで雑談するのもいいかもしれないですね。

  4. 数学屋 より:

    >新井教授は、コンピュータには意味理解は絶対に不可能だと言い切っていますが、それは間違いだということです。
    それは「意味理解」や「意図理解」の定義によるだけでしょう。
    流儀の違いです。
    より形式的に大雑把にやれば実現しやすくなり、制限がきつければ実現は困難か不可能になる。
    ただそれだけの話しです。

    ことさらに噛み付く必要もないと思いますがね。

    これで最後にします。楽しんで読ませていただきました。

    • 田方 篤志 田方 篤志 より:

      数学屋様

      コメント、ありがとうございます。

      >新井教授は、コンピュータには意味理解は絶対に不可能だと言い切っていますが、それは間違いだということです。
      それは「意味理解」や「意図理解」の定義によるだけでしょう。
      流儀の違いです。
      より形式的に大雑把にやれば実現しやすくなり、制限がきつければ実現は困難か不可能になる。
      ただそれだけの話しです。

      書籍「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」で、新井教授は、コンピュータには意味理解は絶対に不可能とはっきりと主張しているとしか読めないのですが、形式的に大雑把にやれば実現しやすくなるという話は、この本のどこに書いているのか教えていただけないでしょうか?

      僕は、自然言語処理の意味理解については20年以上研究していますが、流儀の違いがあるとか、大雑把にやれば実現しやすいとかの話は寡聞にして存じておりません。
      自然言語処理では、意味理解は、いまだにどうすればいいのか皆目見当がつかないと思っていました。

      数学屋さんは、このあたりの事情は僕より詳しいようですので、ぜひ、ご教授していただけないでしょうか?
       

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