哲学的ゾンビはクオリアの夢を見るか?2

哲学的ゾンビはクオリアの夢を見るか?2

消えたクオリア

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僕が住んでる神戸は、古い洋館が街のあちこちにあります。
そんな洋館の中には、今でも、昔ながらのゾンビが住んでいるそうです。
昔はよく聞きましたが、最近は、ゾンビに噛まれたという話もすっかり聞かなくなりましたねぇ。

なので、自分が噛まれたときは、いったい何が起こったのかわかりませんでした。
「ごめんなさいぞよ。つい、うっかり噛んでしまったぞよ」
「二度と噛まないと誓ったですが。本当にごめんなさいぞよよ」
おかしな口調の老人が平謝りしてる姿は、ぼんやりと覚えていますが、そのあとのことはさっぱり記憶がありません。

意識が戻ったときには、家にいました。
よっぽど喉が渇いていたのか、キッチンで、シンクの蛇口から流れる水をむさぼるように飲んでいました。
「あれ、何をしてるんだろう」と、顔じゅう水浸しになって我に返りました。
「そういえば、ゾンビのおじいさんに噛まれたんだったよなぁ」とぼんやりと思い出したのでした。

体の節々が痛く、苦労して寝室まで行ってベッドに横になりました。
どうやら、ゾンビに噛まれて一時的にゾンビになってしまったようですが、人間の意識が少しずつ戻ってきたようです。
今までの記憶をたどろうとしましたが、うまく思い出せません。
思い出せないというか、うまく頭が回りません。
人間の意識が戻ってきたばかりで、うまく考えに集中できないようです。

 

人間と他の動物の意識の違いについては、「そもそも意識って何?」で説明しましたが、ここでは、その中の「盲視」について詳しく取り上げたいと思います。
「盲視」とは、眼球の機能は損なわれていないが、脳の視覚野が損傷した場合に起こる現象です。

本人は、全く目が見えないと思っています。
ハガキを指して、「これは何かわかりますか?」と質問しても、「見えないのでわかりません」としか答えません。
「これは、ハガキです」「それでは、このハガキを持って、このポストに入れてみてください」とポストの前でハガキを渡してみます。
「そんなことできるわけないじゃないですか」といいますが、「あてずっぽうでいいので、適当に入れてみてください」と無理やりやらせてみます。
すると、すっと、ポストにハガキを入れることができるのです。
ぶつかることなく、一回で、ポストの投入口にハガキを持って行けるのです。

これが盲視です。
実に不思議な現象です。

 

物を見た時、脳の中で処理する経路は、人間には二つあります。
一つは、腹側視覚路でもう一つは背側視覚路です。

 

腹側視覚路は、物の色や形を分析する経路で、見たものが何であるかを認識する経路です。
つまり、見たものが何であるか頭の中で認識し、その物を記号化し、その名前を言うことができる処理経路です。
この経路のことを、記号化の経路と呼ぶことにします。
主観的に「見える」という感覚は、この記号化の経路があるから、見えると意識できるのです。

背側視覚路は、位置や動きを分析する経路で、見た物に対する行動に直結しています。
この経路のことを、行動の経路と呼ぶことにします。
ハガキとポストを認識したとき、ハガキをポストに入れる行動がとれるのは、この行動の経路が機能しているからです。
飛んできたボールを認識したとき、ボールをよけたり、掴んだりできるのも、この行動の経路のおかげです。
行動の経路は、意識化されません。
意識に上らず、無意識にとる行動が、行動の経路なのです。

先ほどの盲視の人は、脳内のこの二つの経路のうち、記号化の経路のみを損傷していたのです。
そのため、ハガキを見ても、意識では認識できなかったのですが、行動の経路は生きているので、ハガキをポストに入れるという行動は取れたのです。

 

注目すべきは、記号化の経路が損傷すると、物を意識できないという点です。
つまり、人間は、物を記号化できて、初めて「意識」に上るのです。
人間が、頭の中で物を考えることができるのは、記号化できるからです。
目の前にハガキがなくても、頭の中でハガキを思い浮かべることができます。
これも記号化です。

思い浮かべたハガキをポストにいれたり、破いたり、頭の中でいろいろ操作できます。
これが思考です。
思考内容は、言葉であらわすことができます。

記号化‐意識‐言語、この3つがつながっているのです。

 

つぎに、意識がない場合を考えてみましょう。
行動の経路しかない場合です。
その場合、物を認識したら、それに対する行動を取るか、取らないかの選択しかありません。
そもそも意識って何?」では、カエルについて考察しました。
カエルは、お腹がすいているときに、目の前にハエがいることを認識した瞬間、舌を伸ばしてハエを補足して食べます。
これが、行動の経路だけの動物の行動です。

行動の経路は、3次元空間の位置と行動に関連します。
記号化の経路は、物の名前、意味、概念などに関連します。
行動の経路は、外部の3次元の物理世界に直結しています。
物理世界で生きていくには、行動の経路は不可欠です。
ですが、記号化の経路はなくても生きていけます。
物理法則で成り立つ現実世界で生きていくだけなら、意識は必ずしも必要ではないのです。

 

ゾンビになった僕は、喉が渇いていたのでしょう。
そのとき、水道の蛇口を認識した瞬間、何も考えずに、蛇口から水を出す行動と、水を飲む行動を取っていたのでしょう。
記号化できないので、水をコップに入れて飲もうかとか、お湯を沸かしてコーヒーでもいれようかとか、頭の中で考えることができないのです。
認識に直結した行動を取るしかできない。
これが意識のない世界なのです。
それでも、生きていくことはできます。
ゾンビになるとは、こういうことのようです。

 

記号化について、もう少し考えてみましょう。
記号は、頭の中のデータベースに格納されています。
物を見て認識するとは、見たものが、データベースにあるどの記号に当てはまるかのマッチング処理です。
意識が直接認識できるのは、このデータベースに入っている記号です。
つまり、頭の中のデータベースに入っている記号とは、人間の主観が直接見るものです。
これは、「クオリア体験と僕が幽体離脱した話2」で説明した「クオリア」に該当します。

頭の中のデータベースには、顔のクオリアや、目や鼻のクオリアがあって、人を見た時、その人の顔に注目すれば顔のデータベースとマッチングして顔のクオリアが意識されます。
目に注目すれば、目のクオリアが意識され、鼻に注目すれば、鼻のクオリアが意識されます。

物の形だけでなく、色や音、感覚など、すべてクオリアとして頭の中のデータベースに格納されています。
赤を見たときの「赤さ」や、電車の「ガタンゴトン」という音、手をつねったときの「痛み」、すべてクオリアです。
人の意識は、クオリアしか認識できません。
逆に言えば、人の意識が認識する世界は、クオリアだけで構成されているのです。
直接、外部の世界を認識することはできないのです。

ロボマインド・プロジェクトが前提とする「意識の仮想世界仮説」の心のモデルは、外部世界をシステム内で仮想世界として再構築し、意識は、再構築した仮想世界を認識します。
再構築された仮想世界とは、クオリアで構成された世界といえます。

前回説明したように、哲学的ゾンビは、クオリアを持ちません。
ゾンビの見る世界、それはクオリアのない世界なのです。
クオリアのない世界、それは、考えることも、意識も存在しない世界なのです。

 

自分がゾンビになって分ったことは、クオリアがないと、とっても大変だなぁと言うことです。
(小学生の感想文かよ!)

 

 

次回は、クオリアなきゾンビが体験する恐ろしい世界を伝えるぞ。

 

 

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“哲学的ゾンビはクオリアの夢を見るか?2” への4件のフィードバック

  1. アバター Toshi より:

    クオリアとは、相対世界のイデアですね。(笑

    • 田方 篤志 田方 篤志 より:

      はい、プラトンのイデアにかなり近いです。

  2. アバター Toshi より:

    〇ヴェーダ哲学の観点から意識を考察すると
     宇宙の最も基本的な場、いわゆる統一場 近年で言えば超弦理論の発展形であるブレーンワールドの膜の基本的性質である知性、知性という性質 もしくはブレーン膜にある機能が、3次元の世界でより濃く反映された状態において生まれるのではないかと考えられます。
    〇ニューロンをシミュレートした素子構造を作れば意識は生まれるのでは?
     具体的には、分子レベルで生じる量子効果、つまりトンネル効果をもった素子です。ジョセフソン接合をもった素子とかで、ニューロンの構造も有機的な素材で構成されながら、トンネル効果と同等の現象が生じています。
    参考文献:J-GLOBAL ID:201002083248482503 整理番号:78A0033092
     つまり、神経系統を模した回路が仮にできれば、その集積には必ず意識が生まれるのではないかと。有機物であろと、半導体であろうと、構造が生じればかならず 意識は目覚める。

    〇現在のGPUをつかっても、論理的にトンネル効果をもったニューラルネットワークを作れば意識が生まれるのでは?
     ニューラルネットワークとは、素子の集積方式ではなく、論理的・抽象的・電子的挙動を作っています。通常のディープラーニングは、素子間で論理的な相関分析の蓄積なので、認識機能を素子に持たせることはできるが、自意識が生まれる事はないでしょうが、逆に、ニューラルネットワークでトンネル効果と同等のシミュレートする仕組みが生まれれば意識が目覚める可能性がありますね。
    参考文献:ホップフィールドニューラルネットワークに対する トンネル効果法の適用
    https://ci.nii.ac.jp/els/contentscinii_20180217162715.pdf?id=ART0007400339

    〇その場合、判断や志向性をもった意志をシミュレートしたニューラルネットワークも必要になると思います。いわゆる前頭葉の役割です。
     もちろん、それ以前にGUPか専用素子で心をシミュレートするのは、田方 篤志様の考察が前提・正しいと考えます。

    ちなみに、私自身は、Yes Noの判断と言う機能を自然現象の分析から論理的に導き出せないか?研究しています。(プログラム化)ので、御方の取り組みは興味深々です^^b

    • 田方 篤志 田方 篤志 より:

      コメントありがとうございます。
      意識に関して、僕のアプローチは、「チューリング・テスト」で詳しく説明しています。
      簡単に説明すれば、素粒子のトンネル効果が意識の源だといった考えは、還元主義的な考えになると思います。
      つまり、「意識」に最低限必要な要素は何かを見つける手法です。
      僕の意識のアプローチは、還元主義とは異なり、意識を持ったもの同士からなるエコシステムを考えて、そのエコシステム内にのみ存在するという考えです。
      エコシステムがあって初めて意識が存在し、エコシステムを分解しても意識は現れてこないという考えです。
      一種のエコロジー思想ですね。
      こういうアプローチの意識研究がもっとあってもよさそうなのですが、あまり見かけないですねぇ。

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