クオリア体験と僕が幽体離脱した話2

クオリア体験と僕が幽体離脱した話2

クオリアを直接見るとどうなるのか

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今回は、前回の「クオリア体験と僕が幽体離脱した話1」の続きです。
ようやく、クオリアの話になります。
クオリアといえば、茂木健一郎氏の研究テーマとして有名です。
氏は、電車に乗っていて、「ガタンゴトン」という音を聞いているとき、重大なことに気づきました。
「ガタンゴトン」と自分が感じている、この音の質感は、どうやって生まれるのだろう。
「ガタンゴトン」という音の周波数などを分析しても、決して、音の質感にはたどり着けない。
人が感じる感覚の「質感」。
これがクオリアです。

見るってどういうこと?
「ガタンゴトン」っていう音の質感はどうやって生まれるの?

人は、誰しもクオリアに気づくときがあります。これをクオリア体験といいます。
今回は、僕のクオリア体験の話になります。
その前に、クオリアの概要について、Wikipediaから引用します。

簡単に言えば、クオリアとは「感じ」のことである。
「イチゴのあの赤い感じ」、「空のあの青々とした感じ」、「二日酔いで頭がズキズキ痛むあの感じ」、「面白い映画を見ている時のワクワクするあの感じ」といった、
主観的に体験される様々な質のことである。

外部からの刺激(情報)を体の感覚器が捕え、それが神経細胞の活動電位として脳に伝達される。
すると何らかの質感が経験される。
例えば波長700ナノメートルの光(視覚刺激)を目を通じて脳が受け取ったとき、あなたは「赤さ」を感じる。
このあなたが感じる「赤さ」がクオリアの一種である。

人が痛みを感じるとき、脳の神経細胞網を走るのは、「痛みの感触そのもの」ではなく電気信号である(活動電位)。
脳が特定の状態になると痛みを感じるという対応関係があるだろうものの、痛みは電気信号や脳の状態とは別のものである。
クオリアとは、ここで「痛みの感覚それ自体」にあたるものである。

引用終わり

人が認識するものは、すべてクオリアです。
クオリアが特殊なのは、そのアプローチです。
知覚して、脳内でどのように処理されるかといった外からのアプローチでなく、感覚というものを、自分がどのように感じるかという内からアプローチすることが、クオリアを最も特徴づけています。
クオリアの難しさは、内からの視点、つまり、主観がかかわってくることにあります。

客観的に観測可能な事実のみを対象とする科学では、外からは観測不可能な主観や心、意識といったものには、太刀打ちできません。
この点に関して、「意識のハードプロブレムが解決しましたが、何か?」や「シンボルグラウンディング問題が解決しました1
などでも説明したように、ロボマインド・プロジェクトでは、意識をプログラムで再現させる方法を提案しています。

簡単に説明すると、外部の現実世界と同じ世界をシステム内部に構築し、それを観察するプログラムを作ります。
この内部に構築した世界を観察するプログラムが主観であり、意識となるのです。

人は物を見た時、丸や四角といった細かい部分から、顔の形といった大きな部分へと、段階的に認識していることがわかっています。
これは、ディープラーニングでの画像認識と同じです。

 

 

見たものを最終的に顔と認識すると、「顔」という単語を使って、言葉で考えることができます。
認識したものを単語に変換し、操作する段階は、一種の記号処理で、言語段階といえます。
人の脳の処理は大きく二つに分けられ、一つは、物を知覚して、認識する段階で、もう一つは、認識した物を記号に変換し、記号処理する段階です。
なお、物を知覚して、認識するまでが、無意識の処理で、記号処理する段階(言語段階)が、意識の処理となります。

ここで、クオリアの話に戻ります。
物を見る時、無意識の処理では、見たものを、線や丸、四角といった単純な要素に分け、それを組み合わせて目や、鼻を認識し、最後に、それらを組み合わせて顔といった全体像を認識します。
意識は、無意識が最終的に認識した顔全体を認識します。

意識が認識するのは、顔の全体像のみです。
でも、その中には、目や鼻があり、その中には線や丸、四角といった要素があるはずです。
しかし、無意識が識別した丸や四角の要素だけを、全体から切り離して意識が認識することはできません。
顔の中央の鼻にいくら意識を集中しても、顔全体が消えて、鼻だけが宙に浮いて見えることはありません。

人が認識するものはすべてクオリアです。
顔もクオリアです。
顔の要素の目や鼻、さらにその要素の丸や四角や線もクオリアです。
丸や四角や線、これが最も原始的なクオリアといえます。

目や鼻、丸や四角のクオリアは、脳のどこかに格納されているはずです。
脳内にデータベースがあって、その中には、目や鼻、丸や四角の形のクオリアが格納されているはずです。

我々が、認識するのは原始的なクオリアを合成して最終段階の顔といったクオリアです。
それでは、丸や四角の原始的なクオリアを直接見ることはできないのでしょうか?
真っ黒な背景で、宙に浮いた丸や四角の原始的なクオリアだけを直接見ることはできないのでしょうか?

今回は、僕が、原始的なクオリアを直接見た話です。

 

それは、大学時代のことでした。
その日は、家の机でうとうとしていました。
勉強していたのか、本を読んでいたのか忘れましたが、窓際に置いた机で、重ねた手の甲の上に額を載せ、春の陽を感じながら気持ちよく昼寝していたのを覚えています。

浅い眠りだったのか、ふっと目が覚めました。
「あぁ、いつの間にか眠ってしまったなぁ」と思いながら、起きようか、もうひと眠りしようか、ぼぉーと考えながら、しばらく、そのままの姿勢でいました。

そのとき、おかしなことに気が付いたのです。
目の前にお札が見えるのです。
「お札の上にうつぶせになって寝てしまったかな」と思ったのですが、よく考えると、それはおかしな話です。

手の甲の上に額を載せて、目をつぶって寝ているので、お札があっても、見えるはずはありません。
不思議だなぁ、と思いながら、「そういえば、これと似た感覚は、前にも経験したことがあるぞ」と思い出したのです。

それが、前回の幽体離脱しそうになったときの感覚です。
夢の中で夢だと気づく明晰夢を見た時の感覚です。

幽体離脱や明晰夢、金縛りといった状態は、寝ている状態と起きている状態の中間の状態で、体はまだ眠っているのに、意識だけ目が覚めた特殊な状態となっています。
この状態のことを、変性意識状態、またはトランス状態と言います。
変性意識状態では、幽体離脱が起きたり、幻覚を見たり、普通では起こりえない現象が起こります。

おそらくこの時も、昼寝から覚めかけて、変性意識状態になっていたのでしょう。
なぜか、お札の幻覚を見てしまったようです。

幻覚を見たといっても、意識は非常にクリアな状態です。
そこで、まずは、何円札のお札か確認しようと思いました。

ところが、いくら集中して見ようとしても、何円札か分かりません。
意識を集中しても、数字が頭に入ってこないのです。

それでは、逆に、なぜ、目の前にあるものがお札と思ったのでしょう。
それは、お札の模様が見えたからです。
モアレ模様というのでしょうか、何本もの細い曲線で描かれたお札独特の模様です。

そのお札の模様が目の前に見えたから、お札があると思ったのです。
その模様が目の前に漂っています。
細部を確認しようとしても、思ったように拡大されず、するりと逃げてしまうのです。
ぼやけているということはなく、細く規則正しく並んだ曲線だけは、くっきりと意識されるのです。

いくら見ようと思っても、するりと逃げるばかりなので、あきらめて、起きることにしました。
机から頭を上げて起きてみましたが、思ったとおり、机の上にはお札などありませんでした。

その後、しばらく、あれはいったい何だったのだろうと考えていました。
何となく考えたのは、おそらく、人間は、目に見えるあらゆる物を、無意識で、細かい要素に分解して認識するのだろう。
お札の場合、規則正しく並んだ細い線の模様とか、透かし絵だとか、何円かの数字だとか、そういった要素を組み合わせて認識する。
そして、そういった要素が脳のどこかにデータベースとして保存されていて、お札を見た時、模様や、何円かといった要素を無意識で認識してから、全体としてのお札と認識する。

さっき僕がみたのは、そうやって管理されていたお札の一部の模様だったのだろう。
起きている状態なら決してみることができない、そういったお札を構成する一部の要素が、変性意識状態の中で、偶然見えてしまったようだ。

そんな風に考えたのです。
これが、僕のクオリア体験になります。
クオリア体験にしては珍しく、原始的なクオリアを直接見たという体験です。

その頃、人が物をどうやって認識するのかってことに興味があって、認知科学や脳科学の本を読み漁っていましたが、いまいち、ピンとくるものがありませんでした。
そんな時に体験したお札のクオリア。
この体験で、人はどのように物を認知しているのか、リアルに分かった気がしました。

目の前にお札があって、それを見た時、全体としてのお札を認識しますが、部分に注目すると、何円かとか、模様だとか、肖像だとかといった単位で認識できます。
これは、お札が、こういった要素(クオリア)で管理されているからです。

もし、ビットマップ画像でお札を管理するとすれば、座標(10,10)の位置の色(R,G,B)は(255,255,0)といった2次元の24bitカラーで管理することになります。
人間の脳では、このようなビットマップで管理しているわけではないということです。

MRIなどで外から脳を観察するのでなく、内側から、どうすればクオリアを観察することができるのか。
その答えの一つが、変性意識の中で見た、お札のクオリアです。

クオリア体験と僕が幽体離脱した話でした。

 

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“クオリア体験と僕が幽体離脱した話2” への8件のフィードバック

  1. 丸井均 より:

    私はバンドマンです。
    アマチュアですが、ライブハウスで演奏しております。
    ギターでドミソの和音をジャラーンと鳴らすと暗くて悲しい響きがします。
    ドレ♯ソと鳴らすと明るくて楽しげな響きです。
    なんで和音を一箇所微妙にかえただけで響きの印象がこんなにもちがうのだろう?とつねづね不思議に思っていました。最近人間が音を認識するときは周波数ではなくクオリアで認識してるということを知りました。しかしあいかわらずなぞは解けません。
    ある日飲み会の席でバンド仲間にたずねました。
    「なんでマイナーコードは暗くてメジャーコードは明るいんだろうね?」と。
    「は?おまえ何年音楽やってんだよ、魂で聴いてるからに決まってるだろ」と。
    私はなるほどそうかと思いました。
    「だからお前のプレイはエモーショナルが足りないんだうんぬんかんぬん」そのあと仲間のダメだしがつづく・・・

    • 田方 篤志 田方 篤志 より:

      コメントありがとうございます。
      和音のことは、全く同じことを、僕も、ずっと考えていた時期がありました。
      人間以外、たとえば猿や犬や鳥も、マイナーコードを聴いて暗い気持ちになるのかなぁとか。
      おそらく、人間以外はならないと思います。
      でも、人間なら、人種や文化が違っても、エスキモーやアボリジニでも、マイナーコードを聴くと、悲しい気持ちになると思います(確認していませんが)。
      このあたりに、人間の心のヒントになるようなものがあると、ずっと追求してきました。
      神とか悪魔といった概念も、人種や文化が違っても共通して持っている概念ですし。
      AIが言葉の意味を理解するには、こういった、共通の概念をAIにも理解させなければならないというのが、僕の研究の基本的な考えなんです。

  2. karat より:

    こんにちは。記事を全て興味深く読ませて戴きました。
    とてもわかりやすくて、読みやすかったです。
    色々と質問があるので、よろしくお願いします。

    >ロボマインド・プロジェクトでは、意識をプログラムで再現させる方法を提案しています。

    >簡単に説明すると、外部の現実世界と同じ世界をシステム内部に構築し、それを観察するプログラムを作ります。
    この内部に構築した世界を観察するプログラムが主観であり、意識となるのです。

    私も意識モデルは「自分で世界や自分を認識すること」だと考えています(そうとしか考えられない)
    でも、まだクオリアの問題については未解決で説明がつかないと思います。

    ここではクオリアを「痛みのクオリア」だけに限定することにします。
    痛みのクオリアをどう実現出来るのかは、この意識モデルでは説明がつかないのでは?
    仮想世界でのリンゴの赤の視覚クオリアや仮想世界でのオブジェクト操作による思考の結果、言語の意味理解が表現されるのはわかりますが
    痛みというクオリアは画像のような実態があるわけでもありませんし、自分の頭では思いつきません。

    ロボットの指先に衝撃を感知するセンサーを付けて、そこからコンピューターに信号を送って認識させて、痛がる反応をするロボットは実現可能ですけど
    もちろんこれは痛みのクオリアを感じてるわけではありませんし。

    どうお考えでしょうか?
    よろしくお願いします。

    • 田方 篤志 田方 篤志 より:

      興味深い質問、ありがとうございます。

      目で見た光景が、目に設けられたCCDカメラからの情報を処理するのと同じように、「痛み」は、皮膚表面に張り付けられた触覚センサーからの情報として処理されると考えられます。
      触覚センサーは、微小で感圧を感じるセンサーが皮膚表面に無数に張り付けられていて、感圧パターンによって、「撫でられている」とか、「刺されている」といった感覚を生成するものです。

      「リンゴ」を見た時、CCDカメラからの信号を処理して、「リンゴ」オブジェクトを生成し、意識が「リンゴ」オブジェクトを認識するように、手を針で刺すと、触覚センサーは「刺されている」オブジェクトを生成します。

      「リンゴ」オブジェクトは、物体なのでイメージしやすいですが、「刺されている」オブジェクトは、感覚なのでイメージしにくいですが、どちらも、ある種のデータのまとまりには違いありません。
      物体オブジェクトが「色」とか「形」といったプロパティを持ったデータであるように、感覚オブジェクトは、「身体のどの位置か」とか、「撫でられているのか刺されているのか」、「強さ」といったプロパティを持っています。

      センサーからのデータを処理する部分は無意識で、無意識がオブジェクトを生成して意識に伝えます。
      無意識が、触覚センサーからのデータを処理して「手を、針で刺されたような感覚」オブジェクトを生成します。
      意識は、それを受けて「痛み」を感じます。
      「痛み」は「不快」なので、意識は、「痛み」を取り除こうとする行動を取ります。

      「リンゴ」は目で見えるのでわかりやすいですが、目で見えなくとも、「匂い」や「音」と同じで、「痛み」もある種の感覚には違いありません。
      鼻で感じる感覚か、耳で感じる感覚か、皮膚で感じる感覚かの違いです。
      「バニラ」の香りが鼻で感じる感覚の一種であるように、「痛み」は、皮膚で感じる感覚の一種なのです。
      「感覚」とはオブジェクトに成り得るものです。

  3. karat より:

    回答ありがとうございます。

    >この内部に構築した世界を観察するプログラムが主観であり、意識となるのです。

    つまり、これが「私」や「世界」を感じる(認識する)クオリアとなる…。

    それを持っている以上は、五感の1つである痛みだってクオリアとなるし、感じることが出来るということですか?
    五感とは、世界を観察するプログラムに送られてきたデータによって認識される(感じる)というイメージですか?

    他にも、クオリアのこと以外にも色々と疑問がありますのでお願いします。

    以前、仮想世界やオブジェクトを生成するのに色んな3Dモデルが作れる有名なゲームエンジンの一つである『Unity』を利用すると説明されていましたが
    この世界のあらゆるオブジェクトを作るとなるとかなり大変な作業ではないでしょうか?
    そこは、どうされるのでしょうか?

    完全な自動運転車(まだ実現していない)や新型アイボは意識があると言えますか?
    別の記事では将棋ロボットには、意識モデルがあると書かれていましたけど、これらはどうなのでしょうか?

    • 田方 篤志 田方 篤志 より:

      質問、ありがとうございます。

      >この内部に構築した世界を観察するプログラムが主観であり、意識となるのです。
      つまり、これが「私」や「世界」を感じる(認識する)クオリアとなる…。
      それを持っている以上は、五感の1つである痛みだってクオリアとなるし、感じることが出来るということですか?
      五感とは、世界を観察するプログラムに送られてきたデータによって認識される(感じる)というイメージですか?

      はい、そうです。
      五感から送られてきたデータが、クオリアそのものです。

      以前、仮想世界やオブジェクトを生成するのに色んな3Dモデルが作れる有名なゲームエンジンの一つである『Unity』を利用すると説明されていましたが
      この世界のあらゆるオブジェクトを作るとなるとかなり大変な作業ではないでしょうか?
      そこは、どうされるのでしょうか?

      たしかに、最初は、大変な作業となるでしょう。
      ただ、カメラから取り込んだ画像を自動で3Dモデルに変換するといったシステムは既に実現しているので、そういったシステムを使うことで効率よく仮想世界を作ることは可能と考えています。
      この段階になれば、ほぼ、人間の赤ちゃんが世界を認識するのと同じと言えますね。

      完全な自動運転車(まだ実現していない)や新型アイボは意識があると言えますか?
      別の記事では将棋ロボットには、意識モデルがあると書かれていましたけど、これらはどうなのでしょうか?

      意識モデルとは、外の世界を仮想世界として頭の中に構築し、お互いに、その仮想世界を共有してコミュニケーションを行うシステムを指します。
      将棋ロボットにとって外の世界とは、将棋の盤面で、それを共有し、将棋ルールに基づいて相互にコミュニケーションするので、将棋ロボットは、意識モデルの条件を満たすわけです。

      自動運転車や、新型アイボは、内部に仮想世界を構築するようなことはしておらず、センサーからの入力に直接反応するだけの仕組みになっていると思いますので、意識はないと考えます。
      そもそも意識って何」で書いたカエルと同じです。
      内部に仮想世界を構築するには時間がかかるので、自動運転のように反応速度が重要なシステムには向きません。
      意識モデルが必要となるのは、言語のようなコミュニケーションが必要となる場合に限ります。

  4. nas70vwmaw0m より:

    すべて見たわけではないので似たような解説があったかもしれませんが、新しい概念を学習させるにはどうすれば良いでしょう。例えば、今は味覚を再現するセンサーが存在するので味を認識させる事を出来ます。もっとも最近発見された味であるうまみはプロトタイプのセンサーには搭載されていなかったとします。そこで新しくうまみを認識できるセンサーを搭載しました、ですがそれまでの学習でうまみの情報を認識していなっかった機械にそれまでに学習した情報から発生するデータ構造を壊さずに新たにうまみを認識させるのは難しいと思います。さらに制度の良いセンサーが存在しない概念ならばなおさらです。喜怒哀楽などの感情に新たな概念が登場したとします。これは今まで機械が持っていた感情や人格を破壊する恐れがあるということです。

    • 田方 篤志 田方 篤志 より:

      nas70vwmaw0m様
      コメント、ありがとうございます。
      新たな概念やクオリアの獲得にかんする指摘ですね。
      鋭い指摘です。

      似たような事例として、「ディープラーニングは、なぜ、自然言語処理で失敗したのか」の記事で、最後に、「逆切れ」の認知パターンの例を挙げています。

      認知パターン」とは、分かりやすく言えば「感情」などのことで、クオリアの一種と考えています。
      「逆切れ」というのは、怒られている側が、逆に怒り返すというおかしな行動で、20年ほど前、松本人志によって「逆切れ」という言葉が作られ、一気に流行りました。

      この「逆切れ」という行動は、以前から、無意識では、「なんか、ちょっと釈然としないなぁ」と思っていたかもしれませんが、誰も、その行動自体に意識を向けることはありませんでした。
      それが、「逆切れ」という言葉に言語化されたとたん、その行動が切り取られ、誰もが明示的に認識するようになったわけです。

      ここに、クオリア発生のヒントがあるように思います。
      新しいクオリアとか、概念になる可能性のある現象は無限にあります。
      何らかの行動や、センサーで認識できる感覚は、どこで区切るかは自由で、区切り方が無限に存在するからです。
      たとえば、雪の状態を表現するのに、日本人だと数種類ぐらいしかないのに対し、エスキモーだと20種類以上に呼び分けるといった話があります。
      同じ現象を見ても、文化や環境によって区切り方が異なるということです。

      そして、区切るのは「言葉」です。
      「言葉」を使うのは、「意識」です。
      センサーの拡張であったり、環境や文化の変化などによって、意識が、今までのひとまとまりの感覚から区別するようになったとき、新たな概念やクオリアが生まれると考えられます。

      区切り方の変更だけですので、感情や人格を破壊するほどのことはないと思われます。
      データベースへの登録が少し増えるといったことになるだけと思われます。

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