ヘレン・ケラーに学ぶ現在の自然言語処理に欠けている重要なもの3

ヘレン・ケラーに学ぶ現在の自然言語処理に欠けている重要なもの3

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サリヴァン先生は、ヘレンの片手に井戸の水を流しながら、もう一方の手に、「w-a-t-e-r」と何度も綴ります。
そのとき、ヘレンは重要なことに気づきます。
「w-a-t-e-r」というのは、今、この手に流れている液体の「名前」なんだと。
「名前」という概念に気づいた瞬間です。

物にはすべて、名前があるんだと。
「言葉」というものに気づいた瞬間です。

ここまでが、映画「奇跡の人」に描かれていた話です。

ここまでは「前回」お話しました。
今回は、この続きです。

ヘレン・ケラーの自伝「わたしの生涯」には、この続きがありました。
「言葉」で世界が作られていることを知り、今までと感じていた世界がすっかり変わってしまい、戸惑って家に戻ってきたヘレン。
そこに待ち受けていたのは、今朝、サリヴァン先生からもらった人形でした。
気に入らないからと床に叩きつけて壊した人形です。
その人形に気づいたとき、ヘレンを襲ったのは、深い「後悔」の念でした。

サリヴァン先生が自分に贈ってくれた人形。
きっと、ヘレンが喜ぶとおもって贈ってくれたのでしょう。
そのサリヴァン先生の気持ちなど一切考えず、気に入らないからと癇癪を起して、力いっぱい床に叩きつけて壊してしまったのです。
壊したのは、他でもない自分です。

「後悔」という感情は、自分の行いを「客観的」に認識して初めて理解できるのです。

 

視覚や聴覚、触覚などの感覚によって外部世界を認識することができます。
感覚で認識できるのは、自分の外の世界だけです。
感覚だけで認識する世界には、「自分自身」は存在しません。
自分を客観的に認識することはできないのです。

それでは、外部世界にあるものを直接認識するのでなく、記号化して認識すればどうでしょう。
記号化して認識するとは、「水」を、今、手のひらを流れる冷たい液体と認識するのでなく、「w-a-t-e-r」という記号として認識するということです。
世界に存在するあらゆるものを記号化できれば、その中に自分自身も含めることができます。
それが、客観的に自分を認識するということです(参考:主観と客観)。

記号化するとは、意味内容(水という実体)と記号(「w-a-t-e-r」という名前)とを関連付けることです。
記号化すると、今、直接感じている「水」だけでなく、「水」にまつわる多くのことを関連づけることができます。
今、井戸から流れ出ている「水」と、昨日、カップの中に入っていた「水」。
全く別の状況にある実体から、共通項を見出して、どちらも同じ「水」と認識できるのです。

異なる状況でも、同じ物であると理解できれば、その逆も理解できます。
同じ物が、時間が経てば変化するということ。
新鮮なリンゴが、時間が経って腐って形が変わっても、同じリンゴだということです。
これは、時間の流れが理解できたということです(参考:時間は現実には存在しない。時間は幻想)。

 

時間とは、過去から現在、未来へと流れます。
決して、未来から過去へは流れません。

 

時間の流れを理解すること、そして、自分を客観的に認識すること、これらが理解できて、初めて「後悔」という感情が生まれるのです。

サリヴァン先生が自分に贈ってくれた大切な人形。
それが壊されている。
とても悲しい。

壊したのは、他でもない、自分である。
あんなこと、しなければよかった。
でも、過去に戻ることは決してできない。

これが「後悔」なのです。

「言葉」というものを理解したヘレンは、その、ほんの10分後には、「後悔」といった、今まで感じたことのなかった感情まで感じるようになったのです。

 

ヘレンが井戸の流れる水から理解したのは、言葉だけではなかったのです。
それは、言葉より、もっと重要なもの。
人間の「心」です。

怒ったり、喜んだりだけなら、動物の心でも理解できます。
「後悔」や「思いやり」といった複雑な感情は、人間にしか理解できません。
それは、言葉を持って、初めて理解できる感情なのです。
「言葉」とは、それほど重要なものなのです。

「言葉」と「心」

次回は、この関係をさらに深く読み解いてみます。

 

 

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