時間は現実には存在しない。時間は幻想。
記憶の次は、時間について考えていきましょう。
時間は、エピソード記憶から生まれます。
エピソード記憶とは、過去の出来事の場面や状況の記憶です。
エピソード記憶に関しては、前回の「記憶って何?思い出ってどういうこと?」をご覧ください。
たとえば、目の前にリンゴがあったとします。
熟しすぎて、やわらかくなって、一部黒ずんでいて、腐りかけています。
そのリンゴの一週間前を思い出してみます。
赤々として、ほどよい硬さで、みずみずしいです。
この二つのリンゴを比べてみます。
一つは、今、目の前にあるリンゴで、もう一つは、一週間前のリンゴです。
どちらも同じリンゴです。
そして、変化したリンゴの間にあるものに思いをはせます。
それが時間です。
同じリンゴを見て、時間の経過を感じるのです。
もう少し詳しく考えてみましょう。
一つのリンゴを、机の端から端まで移動させたとします。
その場合、3次元空間で位置が変化したわけです。
位置の移動は、3次元空間の空間座標軸上での移動でシミュレートできます。
同様に、時間の移動は、時間軸というものを設定すれば、時間軸上の移動としてシミュレートできます。
つまり、1週間前のリンゴと今のリンゴを比較するとき、時間軸を設定して比較することになります。
頭の中に3次元仮想世界を作ることで、3次元世界を理解できるのと同様に、時間軸というものを作ることで、時間というものが理解できるようになるのです。
過去の出来事と現在を比較することで、過去から現在に続く時間の流れを感じることができます。
時間軸を使えば、現在の延長線上に未来という概念を想像することもできるようになります。
こうやって、時間という新しい概念が生まれたのです。
つまり、時間というのは、時間軸を導入して作り上げられた仮想的な概念なのです。
もっと言えば、時間というのは、現実世界に存在するのでなく、人間の頭の中にのみ存在する幻想なのです。
「大きさ」や「重さ」といった概念の場合、目で見たり、手で持って感じたりできます。
知覚によって直接感じることができる概念です。
ところが、「時間」は、直接感じる知覚器官は存在しません。
「時間は、人間の頭の中にのみ存在する」とは、こういうことなのです。
現実の世界に存在するのは、あくまでも、「今」という瞬間のみです。
この「今」と、記憶の中の過去、または、まだ来ぬ未来との間を貫く仮想的な概念が時間なのです。
これは、意識を持った人間のみが持ちうるもので、動物は、人間と同じような時間の感覚を持っていません。
今日は、獲物を一匹もとれなかったなぁと過去を振り返ったり、明日は獲物がとれるだろうかと未来のことを案じたりすることは動物にはできないのです。
あるのは、今、目の前の状況に応じた行動パターンを取るだけなのです。
永遠に今を生きているだけといえます。
「そもそも意識って何?」で説明したように、カエルは、目の前でチョコチョコ動くものがあれば、虫と認識して捕まえます。
今、目の前の状況に反応するだけです。
これが、永遠の今を生きているという意味です。
動物には人間と同じような時間感覚がないといいましたが、これは記憶できないということではありません。
動物も学習することはできます。
たとえば、ここに犬がいるとします。
おじさんは犬にエサをあげて、少年は犬に石を投げつけたとします。
すると、犬が次におじさんを見かけた場合は、エサをもらえると思っておじさんに近づいていき、少年を見かけた場合は、石を投げられると思って少年から逃げます。
これは、犬が過去の経験から学習していることを示しています。
ただ、犬は人間のような意識を持たず、場面で覚えるといったエピソード記憶ができません。
犬は、入力と出力が直結した行動パターンを持っているだけで、学習できるのは、行動パターンだけです。
おじさんに対して、近づくという行動パターンが生成され、少年に対しては、逃げるという行動パターンが生成されただけです。
もし、次におじさんに会ったとき、今度は石を投げつけられたら、おじさんに対する行動パターンを変えるだけです。
できるのは、行動パターンの変更だけです。
「おじさんは変わってしまったなぁ。何があったんだろう。」などとは考えません。
「変わったなぁ」と考えるには、まずは、エサをくれるおじさんの場面を記憶できていないといけません。
これは、エピソード記憶を持たない犬には無理です。
また、現在の状況と比較するには、作業空間が必要です。
「作業空間」とは、頭の中に構築したオブジェクトを一時的に操作する空間です。
詳しくは、「3次元空間を認識するってどういうこと?」を参考にしてください。
作業空間に、現在のオブジェクトと、過去のオブジェクトを配置して、はじめて、その二つを比較できます。
「比較」するには、「オブジェクト」や「作業空間」といった仕組みをもっていないといけません。
さらに、過去と現在との比較なので、「時間」の概念も持っていなければいけません。
このように、時間の流れを感じるには、意識、オブジェクト、作業空間、時間軸をもった心のモデルが必要なのです。
この考え方に納得しますが、
それでは現在の物理学ではなぜ時間が実在するとされるのでしょうか。
syun様
質問、ありがとうございます。
ちょっと、説明不足でしたね。
物理的に時間は存在すると思います。
「時間が存在しない」というのは、時間を直接検出する感覚とかセンサーは存在しないということをいいたいわけです。
色や音を直接感じる感覚器やセンサーのように、時間を直接感じることはできないわけです。
人間が時間を感じることができるのは、頭の中で仮想世界を作って、その中で時間の経過で変化する様を想像して、初めて時間を感じることができるという意味です。
物理的な時間は存在しますが、それを感じてるのは、頭の中で作り出したニセモノの時間というわけです。
この記事の核心からは外れてしまいますが、「犬にエピソード記憶がない」と断言するのは犬にインタビューできない以上、非常に難しいと思います。いかがですか?
絶學無憂様
質問、ありがとうございます。
これは、非常に重要な指摘です。
僕の考えでは、以下の通りです。
1.言葉というものは、頭の中にあるものを外に表現したもの。
2.人間と同じようなことを頭の中で考えていれば、自ずと、しゃべるようになるはず。
3.人間と同じようにしゃべっているなら、時間をかければ、会話ができるようになるはず。
(言葉が通じなくても、時間をかければ、相手の単語を覚えて会話ができるようになる)
さて、未だ犬が、怒ったり、喜んだりしてワンワン、キャンキャンとしか言えないのは、犬の頭の中には、ある外部状況に応じて、怒ったり、喜んだりするといった感情しかないからです。
犬が人間と同じように複雑な言葉をしゃべれないのは、複雑な言葉をしゃべる声帯を持っていないのでなく、頭の中にある状況が、怒ったり、喜んだりぐらいしかないからです。
音が聞こえない人間が手話を発明したように、頭の中でイメージしていることは、何らかの形で表現されるはずですから。
もし、犬がエピソード記憶を持っていて、「昨日、公園でタロとシロが喧嘩していて、びっくりしたよ」なんて思ったとしたら、何らかの方法でそれを表現して犬同士で会話するだろうし、時間をかければ、人間と犬とも会話ができるようになって、インタビューすることができるはずです。
それができてないことを考えれば、やはり、犬には、エピソード記憶がなく、人間と同じように、昨日会った出来事を思い出すことはないと思います。
犬の持ちうる記憶は、エピソード記憶でなく、特定の状況と行動を結びつけた意味記憶です。
たとえば、昨日、エサをくれた人に会うと、その人とエサがもらえることが結びついていて、エサをもらおうとワンワン吠えます。
このとき、犬の頭の中にあるのは、思い出のようなエピソード記憶ではありません。
自転車の漕ぎ方のような、ある特定の条件に反応するタイプの意味記憶です。
カエルにはエピソード記憶は無いと思いますが、、「犬にエピソード記憶がない」は違うと思いますよ。
犬好きの人なら大抵はそう思うでしょう。
野良犬でなく飼い犬の場合、主人が心理状態がおかしくなったりして態度が変わっても愛想を振りまき何とかしようとしてくれたりします。ストレス性の病気になったりもします。
そもそも「犬にエピソード記憶がない」のであれば忠犬ハチ公のような事が起きたり主人とはぐれた犬が何10キロ離れたところから主人を見つけてやってくるような実話が生じないでしょう。
哺乳類に「エピソード記憶がない」と断言しない方が良いですよ。
ハムスターぐらい小さい脳みその動物は観察するにエピソード記憶がほぼ無いかもしれませんが…。
ケロッピ様
コメント、ありがとうございます。
僕も犬を飼ってた犬好きなので、お気持ちはよくわかります。
それも、犬語で会話できるレベルです^^;
ちょっと僕の説明が足りなかったかもしれないので、記憶の定義をもう少し正確に説明します。
記憶には長期記憶と短期記憶があって、長期記憶には意味記憶とエピソード記憶があります。
意味記憶は、物の名前や色、形といった記憶です。
エピソード記憶は、遠足の思い出とか、過去の出来事を思い出という形で記憶するタイプの記憶です。
それから重要なのは、意味記憶というのは、目の前にあるものがなんであるか、どう反応していいのか分かる能力で、エピソード記憶は、目の前にない出来事を思い出すことができる能力であると言えます。
これは、エピソード記憶でなくて、意味記憶でできる行動です。
目の前の主人の状態に対応する反応行動というわけです。
忠犬ハチ公が行ってたのは、毎日の習慣なので、意味記憶となります。
何10キロ離れたところから主人を見つけるのは、嗅覚で見つける能力となります。
人間はエピソード記憶を持っていますが、何10キロ離れたところから匂いを頼りに家族を見つけることはできませんので、エピソード記憶はあまり関係ないと思います。
たぶん、ケロッピさんは、意味記憶とエピソード記憶を区別しておられないのかと思います。
ご理解いただけたでしょうか。
先ほど犬の事で投稿したものですが、無理にこの記事そのまま残さないで犬を他の爬虫類当たりの動物で書き換えた方が良いと思いますよ。
理由は、エピソード記憶に関して動物の実験が行われてるのでそちらをお調べください。そうすれば意味が分かります。
無理に自分の記事を正当化させようとすると無理が生じます。「時間は現実には存在しない」という本筋の主張まで信じて貰えなくなるのでもったいないと思うのです。
それって御社にとっても不利益になりませんか?
返信不要ですのでご一考くださいませ。
ケロッピ様
人によってエピソード記憶の定義が異なることがあるので、よければ、どのURLのどの部分についてのことか、教えていただければ、僕なりの意見は述べさせていただきます。
ご検討のほど、どうぞよろしくお願いいたします。
≪…存在するのは「今」だけ。過去も未来も人間の心が作り出した幻想。…≫を、「なぜ時間は存在しないのか」ジュリアン・バーバー著 川崎秀高・高良富夫訳の、
【 …自然を表す方程式に関する物理学者の理解が、より深くなると、方程式それ自身がもっと精巧になり、それを解くのがより困難になるのを気付く… 】で、
数の言葉ヒフミヨ(1234)の数の言葉の世界の文脈命題の、
『離散的有理数の組み合わせによる多変数関数』が『存在量化確度方程式』と『存在量化創発摂動方程式』に分岐し、
十進法の基における西洋数学の成果の符号(i e π)と[1]⁅0] そして、
離散(有限)と無限(∞(連続))との橋渡しの数学符号(∞)とから、
静なる『自然比矩形』 動なる『ヒフミヨ矩形』『ヒフミヨ渦巻』『ヒフミヨ放射』を、
【 …私は時間の研究を普及… 】の【私】を[数学]に置き換えて、数学に潜む[時間]に想う・・・
【 …人が無常と呼ぶものの厳密な証拠が存在… 】 を想う・・・
【 】は、「なぜ時間は存在しないか」 からの引用。
存在量化(私の情念)さん
コメント、ありがとうございます。
ただ、何を言ってるのか、さっぱり意味がわからないです^^;
存在量子さんは、分かりますか?